2007年10月2日火曜日

ニジマスしか産まない代理ヤマメ

ほんとうに、こんな代理母が認められてよいものだろうか。

東京海洋大学が研究しているテーマとして、サバにマグロを生ませる研究プロジェクトがあるという。

確かに高級魚のマグロが安価で食卓にあがることは喜ばしいことである。マグロは、高速で泳ぎ続けなければ死んでしまうらしい。それは、停止してエラを動かして海水を体内に取り込むことができないから、泳ぎ続けて口から大量の海水を取り込みエラ呼吸しなければならないかららしい。従って、養殖するにしても広い養殖池が必要となるということである。加えて、マグロは卵を産むまでに4年前後を要するが、サバの場合は、2年で卵を産み、飼育には広い養殖所も不要だというわけである。

だから、サバにマグロを生ませようというのがこの研究プロジェクトである。

現在、人工孵化した親魚に再び産卵、孵化させる完全養殖は実現しているが、このよ養殖に必要な年数と養殖場所の合理化を図ろうというわけである。

このプロジェクトの実現は、東京海洋大学がヤマメにニジマスを生ませるプロジェクトを成功させたことにより、いよいよ現実味を帯びてきたというわけらしい。

これまでの人工孵化の技術では、ヤマメの孵化したばかりの稚魚にニジマスの始原生殖細胞を移植し、やがてそのニジマスの始原生殖細胞を移植されたオスのヤマメは、ヤマメの精子とニジマスの精子を持つようにあるらしい。つまり、ヤマメもニジマスも生まれてくるわけであり、むしろニジマスが生まれる確率は低かった。この始原生殖細部なるものは、細胞発生の初期のもので、精子になる可能性と卵子になる可能性の両者の可能性があるらしい。精巣内では精子になり、卵巣内では卵子になる極めて初期の細胞らしい。

一方、オスのヤマメの精巣内にある精原細胞をメスのヤマメに移植すると、精原細胞から卵が生産されることも実証されていた。

zu-1 zu-2

(出所)東京海洋大学・科学技術振興機構、平成19.9.14発表資料

今回、このふたつの研究をガッチャンコした研究に成功したということらしい。不妊ヤマメにニジマスの精巣細胞を移植したところ、オスのヤマメには正常なニジマスの精子をつくり、メスは正常なニジマスの卵をつくり、さらにそれらの精子を卵をかけ合わせところ、これまた正常なニジマスが生まれたということです。

これまでの完全養殖は、同種の魚での世界であったものが、サバのような小魚種に黒マグロのような異なった魚を生ませることができるというのである。

しかも、クロマグロは卵を生むまでに4年も要したが、サバは2年でクロマグロを生んでくれることになる。

ヤマメは、自分の子供を産んでるつもりが、すべてニジマスなのである。

将来、サバが一生懸命サバを生んでいるつもりが、クロマグロばかりなのである。

人間のように望んで代理母になるのとは、あきらかに違う。

また、ある人は言うだろう。

スイカの苗は、丈夫な根をもつ他の野菜の苗に接木をして生産しているではないかと。また、ブタのイノシシを掛け合わせてイノブタもつくってきたではないかと。

仰るとおりではあるけれど、ほんとうにそれでいいのだろうかと思ってしまう。

2007年9月23日日曜日

長良川への釣行(岐関大橋)

昨日は、猛暑につき、さすがに出掛ける気にならなかった。 今日は、くもりがちで涼しく、これなら今日を「納竿日」にすることに。 師匠に電話してみると、同好会のメンバーは木曽川に出掛けているとのこと。 木曽川では、オトリ店をよく知らないので、正午、単独にて長良川の岐関大橋の下流に入川。 岐関大橋から下には15人ほどの釣り人が入っていた。 水はきれいなのだが、前回の8月26日の同好会の鮎釣り大会の日に比べて30~40センチほど増水していた。昼食にて岸にあがっていた人に聞いてみると、オトリにならないほどの鮎ばかりとのこと。 増水にて流芯に近づけないからだろうか。

久しぶりの鮎釣りである。前回と同じポイントの近くにて竿を出す。2・3分にて目印が走る。出てきたのは、ほんとうダ!

これでは、親にならない。10数センチ。仕方なく、養殖のオトリをそのまま、再度、出陣願うことに。

次第にサイズ・アップ。それでも5・6尾は流れの強いなか、親にはならないものばかりにて、養殖オトリを交換しながら、釣りとなる。

親サイズがつれるようになったのは、1時間30分ほどしてのこと。22・3センチほどのものが釣れるようになる。久しぶりにスイカの香りだ。4週間ぶりである。

オトリは、やがて婚姻色が出てきた。タマゴをもった鮎には出会わなかったが、2度の根掛かりがあったものの、退屈しない程度に楽しむことができた。 午後3時30分、何だか寒くなり、おまけにくしゅみ。

稲穂が黄色く色づくにつれ、くしゃみが出る。ここ3・4年、秋の年中行事である。

ここらあたりが、今年の竿納め時とばかり、早々と帰り支度。

2007年9月1日土曜日

自然治癒する癌もある!?

千葉県がんセンター研究所の中川原 章 研究局長のお話を聞く機会があった。

同局長は、小児の腹部腫瘍である神経芽腫(小児癌の一種)の著名な研究者である。
日本では、年間2500~3000人が小児癌を発症しているという。このうち、白血病(小児癌の30数%)が最も多く、次に多いのが神経芽腫(同10数%)だという。神経芽腫とは、副腎や交感神経に発症する腫瘍であり、主に新生児から5歳児までに発症するらしい。このため、新生児を対象としたマス・スクリーニングが国レベルで実施されたこともあったが、現在、自然に治癒するケースもあることから、この検査は中止されているようだ。

自然治癒する癌もあるとは、不思議である。

小児癌の治癒率は、30年前には20%であったが、いまや70%になっているらしい。神経芽腫の場合は、自然治癒例と悪性の進行例が混在するなかで、如何に「テーラーメイド医療」を実現するかが鍵のようだ。
それでも、過去の症例をDNAチップにして蓄積、解析することによりことにより、現患者のDNAと過去の解析結果を比較することにより予後の予測が可能になってきたという。その予測が可能になったことにより、いわゆるテーラーメイド医療が実現できるようになってきたようだ。局長は、その研究に大きな貢献をされた方のようだ。

「自然に治癒する癌があるのであれば、そのメカニズムは解明できないのでしょうか。」
誰もが持つ当然の疑問を尋ねてみた。
「それが、私の研究テーマです。」
と、局長の温和な笑顔。

世界的レベルで進められたヒトゲノム計画が終了したのが2003年。計画が発表された当初(1984年)、とても実現できるわけがないとの見方が大勢であったことを覚えている。しかしながら、1991年から開始された遺伝子情報の解読は、2003年に全作業を終えた。

最先端医療の研究は、想像しているよりも遥かに速いスピードで進展しているようだ。

2007年8月26日日曜日

同好会の鮎釣り大会

本日、午前9時から午後1まで同好会カップ鮎釣り大会が長良川の岐関大橋付近にて開催され、参加した。メンバー14名が参加。一昨日に雨が降り、状況は好転したとの話もあり、期待。

午前7時30分からテント張り、エントリーが行われたあと、9時からスタート。午後1時までの4時間の釣果を競う。

下の写真の瀬の下の腰まで水に浸かるようなポイントを選んだ。仕掛けは、昨日、つくり直したもので、鼻カンと遊動式ビーズの間隔を1センチに縮小したものだ。それまでは、2センチの間隔をとっていた。

セオリーどおり、手前からオトリをつけて放つと、すぐに目印が浅瀬に走り、これはこれは優勝?と思いきや、バレ。掛かりが浅かったようだ。その後、暫くは音信がなく、オトリ選手の交替をさせ、左岸寄りの流心にオトリを誘導。来るな!という予感とともに、グッグッと竿が重くなる。困ったことに、腰まで水に浸かっている。引き抜きが下手であるうえに、この状態ではとても引き抜くことは無理。

足元の石を探って立てそうな石に爪先立ちする。不安定ながらも、オトリが顔を出し、野鮎の頭も見え始める。エィ~ッと竿を立てると、2尾の鮎は仲良く、自分の顔の横を通過。勢いよく後方に飛んでいく。アレッ?、石に立っていられなくて、トンと足をつけると、ピヨーン、ピヨーンと野鮎が水面を叩く。
ご想像のとおり、野鮎はハリから外れ、結果、不本意ながらのリリース。

それでも1時間ほどして、厭きない程度のペースにて野鮎が掛かり、オトリ3尾込みの9尾にてタイムアウト。6尾の釣果というは、これまでの大会では好調であったため、上位入賞を期待したものの、結果は9位。下の写真が、タイムアウトした際のオトリ込みの釣果。
午後1時過ぎからは、昼食。鹿の肉の塊(5キロくらい?)を豪快にスライスしながら焼き、そのうえ釣友の店からの牛、豚、鶏肉の差し入れをジャンジャン焼き、ワイワイ談笑しながらの表彰式。前年の優勝者が今年も優勝。オトリ込み2桁が8人もいた。上位入賞を期待していたとは、とうとう言わなかった。
昼食後の3時、夕方からの釣果を期待して釣りを再開。
4尾を追加して午後5時30分に納竿。
metabo108

2007年8月24日金曜日

どうする日本!?

この写真は、本年4月、総理主催の桜を見る会における安倍総理を囲む人だかりの様子である。この頃、総理への国民の期待は大きなものがあった。

現在、総理はアジア各国を歴訪中であるが、マスコミは、専ら総理帰国後の組閣問題に焦点を当てている。さきの参院選挙での与党・自民党の予想外の惨敗からすれば、マスコミが国民の最大の関心事として国内問題を追うことはやむを得ないものの、ちょっと往き過ぎのようにも思わる。

このように内政問題に終始している世論に対して、「動き始めた東アジアの『地殻変動』に日本は『堅実』かつ『大胆』に取り組む必要がある。」として、激変する東アジアに目を向けるべきであると力説しているのが、京都大学の中西輝政教授である。「激変する東アジアに目を向け 主体的な行動で国益を守れ」(WEDGE9月号、「羅針盤」)と題する記述を読んだ。

中西教授は、安倍総理のブレーンのひとりと言われている。時折、その発言は物議をかもしている。 従って、反論も多いことも念頭に置きながら、ひとつ見方として紹介しておきたい。

まず、同教授は東アジア情勢を概ね次のように捉えている。
(1)東アジアをめぐる政治日程として、本秋に中国共産党大会(5年毎)が開催され、本年末には韓国の大統領選挙があり、来春には台湾の総統選挙、ロシア大統領選挙、さらに11月には米国大統領選挙がある。
(2)中国は、軍部から企業、農民に至るまで指導部に従わない勢力が増大し、国家の統制能力が脆弱化している。そんななか、日中間の懸案である東シナ海の「海洋開発問題」は、一つ間違えば台湾問題に波及する。
(3)その台湾では来春の総統選挙において、独立派の与党・民進党が政権を維持することになれば、中国が北京オリンピック終了を俟って早期の台湾合併に動き出すことも予想される。この台湾情勢がさらに深刻化すれば、日米安全保障の根幹を揺るがしかねない。
(4)日本は、安全保障戦略上、「堅実」に日米同盟を基本線に据えて中期的な視点で対処するとともに、「大胆」な手として集団的自衛権の行使を表明することにことが、欠かせなくなりつつある。
(5) 対北朝鮮問題は、本年末の韓国大統領選挙の結果如何にかかわらず、同国の「親北政策」の流れは変わらない可能性があり、米国も来年暮れの自国の大統領選挙モードのなかで対北融和に戦略を転じてきているが、日本としてはこれまでの拉致・核問題の解決という「堅実」にブレがあってはならない。(資金的に?)日本以外に北朝鮮の運命を救える国はないことは明らかであり、米国の対北融和政策は失敗する可能性が高い。仮に米国の対北接近が限度を超えた場合は、日本は対北朝鮮問題に関して専ら米中にリードされ影響力を発揮できないでいる「ロシア」というカードを切って、米国の戦術変化を牽制することもできるのではないか。ロシアにしても、大統領選挙を控えて対北朝鮮問題に対しては口を挟みたいはずである。

このような情勢分析をふまえて、同教授は、次のように述べている。
「東アジアにおけるこれら一連の情勢変化は、日本にとって、むしろ今こそ「アジアの大国」として主導権を発揮するチャンスととらえるべきである。南方(東シナ海)の問題では、集団的自衛権を行使して、自らの意志で安全保障行動をとれるようにしておくことは、米国追随の対外姿勢から脱却し、中国に対しても強力なカードを持つことになる。」として、安倍政権が打ち出した『価値観外交」を後押ししている。
また、日本は、「東アジア共同体」と言った「狭いアジア」ではなく、日米関係を基軸にしながら、米国、ロシア、インド、豪州といった「外アジア」との緊密な関係を構築したうえ東アジアとの周辺国関係を再構築していくべきであるとしている。

確かに、中国の内政はたいへんなようだ。北京オリンピック後に台湾合併問題が浮上することによって中国は、国内世論のホコ先を一点に集中させ、国内統治を強化することができる。となと、こうしたシナリオも考えられなくもない。また、集団的自衛権の行使については、この議論の延長線上には、民主党の分裂を孕んだ政界再編も考えられなくもない。

いずれにしても、本年4月、安倍総理は、『安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(座長」柳井俊二・国際海洋法裁判所判事)を設置している。中西教授はそのメンバーには入っていないが、この有識者会議の議論は注目しておく必要がありそうだ。

2007年8月23日木曜日

「魂の森を行け」を読んで

一志治夫著「魂の森を行け-3000万本の木を植えた男」(新潮文庫)を読んだ。
この本を読むきっかけとなったのが、面白い。

去る8月12日に中学校の同窓会があり、45名ほどの卒業生が集まった。そのなかで、卒業以来はじめてあった同窓生がいる。彼は、いまや東京にてコンサルタント会社を起業している人物である。彼とは東京に戻った際に連絡することを約束していて、翌週、早速にあらためてふたりで旧交を温めることとなった。
話をしているうちに、横浜国立大学の宮脇 昭 名誉教授の話になった。彼は自分の会社の講演会に宮脇名誉教授を講師に招く企画したことがあるとの話を熱弁してくれた。
そんな会話を交わすなかで、宮脇名誉教授であれば、自分の職場に強烈な信奉者がいるので紹介しようということで紹介した。

宮脇名誉教授というのは、「『潜在自然植生』に基づく森林再生術を習得した植物生態学者」である。いまや、80歳を超えている。

私は、その名誉教授のことはよく知らない。そこでその信奉者が進呈してくれたのが、前述の一志治夫著「魂の森を行け-3000万本の木を植えた男」(新潮文庫)である。

自然の再生のためには、本来、そこに自生していた木を植える必要がある。その潜在自然植生を見出すには、その土地の「鎮守の森」がヒントになる。日本では、「タ・カ・シ」。タブの木、カシの木、シイの木が代表ということらしい。同名誉教授の植樹プロジェクトは、事前調査が徹底しているようだ。国内外での調査については、その本に記されているのでここでは紹介しないが、えらく徹底していて、「神がかり」的な様子。その信念が、多くの信奉者とも言える指示者を集めているらしい。

現に、同名誉教授の指導によるイオングループの「ふるさとの森づくり」も多くのボランティアが集まって植樹作業を展開しているようだ。

この夏、郷里にオープンした「イオン」でも、オープンにさきだち6200人以上が参加して30センチほどの苗木を1人10本、計6万2000本を植樹した。とにかく、所狭しと植えてある。5年前、岐阜および各務原に山火事が発生し410ヘクタールの山林が焼失したが、この跡地にも同グループが植樹したようだ。

これらが、どんな森になるというのか、たのしみである。

2007年8月20日月曜日

目が光るKOEIの壁画

ハッと、驚く。
いつから、この壁画はできたのだろうか。
ゲームソフト「信長の野望」で有名な「KOEI」の新社屋の壁画である。
横浜市港北区の東横線「日吉駅」から横浜に向かってスグ、右手側の線路沿い。

KOEIの社屋は、日吉駅周辺にこのビルを含め3棟ある。次第に独創性が表に出てきている。この壁画、目が光る。輝くというほではなく、どちらかというと醒めた光である。冷静に通行人のこころを見透かしているのようでもあり、面白い。

案外、車窓から眺める人たちも、窓を通り過ぎていくこの壁画に驚かされていることであろう。

きっと、話題になるに違いない。

街並みの景観を損なうなどと、野暮なことは言いっこなしにして、横浜日吉の新しいシンボルしたいものだ。Posted by Picasa

2007年8月18日土曜日

神通川(富山)への釣行

昨夜、急遽、本日の釣行は富山県は神通川と決まった。朝、4時、師匠の車に乗せてもらって自宅発。片道200キロ。関市あたりで、引き舟を持参してこなかったことに気づき、途中、美濃のオトリ店にて引き舟を拝借。
神通川へは、過去に3回ほど釣行している。富山県内では、神通川のほかに小矢部川に釣行したことがあるが、いずれも川には透明感がない。この日も、濁り感があり、そのうえ渇水気味のようだった。日釣り券(3000円)を購入後、一通り川の状況を見て回って、午前9時ちょっと前に富山空港の北端にあたる「新保橋」の左岸に入川。
川原に入ると、垢腐れの独特の臭い、ちょうど犬のきつい臭いが鼻を突いた。それでも、長良川に比べれば、減水の状況はまだマシであり、暑さもさほど気にならなかった。
新保橋の下流・200メートルほど下流の状況が下の写真である。すでに、多くの釣り人が竿を出していた。場所にムラがあるようで、よく掛けている人もいた。具体的には、橋から流れが右に折れすぐに左に折れた50メーターほどの左岸。ここでの釣り人は、調子がよかったようだ。
時折、富山空港から離着陸する飛行機が大きな音とともに頭上を通過する。南から北に離発着するときは、エ~ッと声をあげるほどに圧巻である。



午前中の釣果は、4尾であったが、取りこぼしが3尾あった。釣果のなかには、24センチほどの野鮎もいたが、取り込みの際に身切れで取り逃がしたり、あるいは仕掛けの不具合で取り逃がしたりと反省多き釣りとなった。大きな野鮎が掛かった際には仕掛けの「つくりの丁寧さ」が、釣果を左右するものだと痛感。特に、仕掛けの糸の結び目などには、やはり瞬間接着剤を施す必要を実感。20センチのオトリに24センチの鮎が掛かった時には、竿が大きく弧を描き、竿が折れるのではないかと慎重にならざるを得ないほどであった。当初は、その場での取り込みに失敗、川岸に移動しながら、取り込んだほである。
午後の釣果は1尾、よって本日は5尾の釣果であった。午後5時30分に納竿。なお、師匠の釣果は16尾。




2007年8月16日木曜日

長良川への釣行

本日、息子を車で高校に送り、そのまま単独にて美濃に直行。午前11時から午後3時まで長良川・中央漁協区内の喫茶「ロマン」前に入川。
本日、岐阜県多治見と埼玉県熊谷にて40.9度を記録。74年ぶりの猛暑記録を更新。
川原に入って、とにかく暑い。酸欠状態にて息苦しいほどである。当初は、風もなく、アップアップの金魚、状態。引き揚げようかと思ったほど。
そのうえ、盆もあけたというのにすごい人出であり、場所の確保が難儀。幸い、やがて昼食タイムになり、ようやく思いの場所の確保ができたと言った具合。 写真のとおり、かなり減水、というより渇水状況であり、水温も高く、オトリがバテテしまいそうなほどである。

変則仕掛け(http://metabo108.blogspot.com/2007/08/blog-post_12.html)の具合は、まずまずであった。はじめにオトリを引き釣り操作し、次いでオバセでの泳がせ操作を行って、オトリが流芯にうまい具合に入った。仕掛けの鼻管と連結したビーズが仕掛け糸のコブを抜けてしまい、野鮎が掛かった折にタモからオトリがはみ出してしまう結果となった。この部分は仕掛けの改良の余地あり。午後3時、これからという時に無常にも内ポケットの携帯電話のアラームが鳴る。タイムアウト。午後5時までに自宅に戻る必要があり、引き揚げる。

釣果は、4尾。写真の大きな鮎はオトリである。
metabo108

2007年8月12日日曜日

鮎の仕掛け

きょうは昼から中学校の同窓会があり、釣行はお休み。4人の恩師と50名弱のメンバーが集まった。恩師のみなさんも同窓生もみんなも元気で何より。特に、毎回のごとく、女性陣にはたくましささえ感じた。
というわけで、今回は、自分が試している仕掛けについて説明したい。
下の写真のように、一見してアブノーマルなのが、鼻カンと背バリである。
私は、よくオトリ鮎に鼻カンを通す際にうまくいかず、鮎から鼻血を出してしまうことがある。鼻血を出したオトリ鮎は決まって、一気に元気をなくしてショック状態になってしまう。従って、オトリを元気に保つには、偏に鼻を引っ張らないことではないかと思ったりしている。
いまや、ウレタンチューブと背バリを連結した「ウレタン背バリ」があるが、この方式は鼻カンへの力は軽減されるが、背バリと鼻カンに力を分散しているに過ぎないように思われる。
そこで、引き釣りをしている際などにオトリの鼻カンを引っ張らず、背バリのみで引っ張ることにしてみた。
鼻カンはビーズと連結しており、そのビーズに仕掛け糸を通して遊動式にしている。これは、同好会がスーパーウェポンの遊動式にビーズを利用しているので、それを活用した。
これであれば、、オトリを引いた場合には、鼻カンには力が伝わらず、後ろの背バリに力か伝わることになる。

ビーズの先は、コブをふたつ作っている。一つは、ビーズ止めの役割を果たし、残りの先端のコブは繋ぎ糸と連結するためのものである。
背バリも遊動式にしている。これは、オトリにする鮎の大きさにより逆さバリと背バリとの間の長さを調整するためのものである。
背バリの遊動方法は、下の写真のようにチューブ管に仕掛け糸を通し、そのチューブ管を背バリに背負わせ、背バリとチュウーブ管を糸で巻き、さらに瞬間接着剤にて一体化させ、チューブ管を遊動させる方式である。
ここで注意すべきは、糸をキツク巻きすぎないことである。キツク巻きすぎてしまうと、遊動に支障が生じるためである。
この仕掛けは、オバセによる泳がせ釣りにも問題はないはずである。
問題なのは、この仕掛けの実績である。
野鮎がいないのか、オトリ操作がまずいのか。
この仕掛けは素晴らしいという結果は、未だ出せないでいる。
いずれにしても、今夏はこの仕掛けを試して見たいと思っている。
metabo108

2007年8月11日土曜日

益田川(飛騨)への釣行

師匠の車に乗せてもらって、朝6時に益田川(ましたがわ)へ出発。

益田川は、現在、地図では飛騨川となっているが、本来、金山(かなやま)の馬瀬川(まぜがわ)との合流点から上流を益田川と称していたようだ。漁協は、いまでも益田川の名称を用いている。

その金山の上流で高山本線の「下呂」(げろ)の一駅、岐阜寄りに「焼石」(やけいし)という駅がある。そこに、釣り同好会のメンバーとともに8時30分に入川。焼石駅は、写真の右側の住宅の裏側にある。

同好会会長曰く、「このポイントは、昨年は益田川で一番よく釣れたポイント」とのことにて、大いに期待。

右岸(写真の左側)から入川すると、残念ながら、増水し、しかも水温も低い。聞いたところでは、何でも、ダムの放水があったらしい。期待は、夢と消える。


対岸の川原には、7名ほど釣り人あり。右岸は、釣り同好会の4人ほか1名。

午後1時過ぎに昼食に上がる直前に1尾。それまで、まったくアタリなし。昼近くになるにつれ、右岸の手前のやや浅いところで、ギラギラ、鮎が垢をはんでいる。それでも釣れない。

昼頃には、50センチくらい減水。沈めていたオトリ缶が、岸に上がってしまった状態になる。予備に残しておいたオトリが・・・。事態は、いよいよ厳しくなり、ようやく釣れた野鮎を酷使。

午後6時近くい納竿。

写真の6尾のうち、2尾はオトリ。釣果がさみしく、写真は控え目にしてみました。

metabo108

2007年8月10日金曜日

働きアリは2割

「ひととき」(発行:ジェーアール東海エージェンシー)という雑誌があり、「車窓歳時記」という巻頭言がある。
その8月号に宗教評論家のひろさちや氏が「蟻」という随筆を載せている。
興味深いので、一部をそのまま紹介したい。
「炎天下に働く蟻を見て、蟻は勤勉な動物だと思ってしまいますが、実際に勤勉なのは約二割で、残りの六割は普通、そして二割は怠け者だそうです。また、勤勉な二割の蟻ばかりを集めてコロニーをつくっても、すぐに八割は勤勉ではなくなるそうです。だが、働き蟻の寿命は一~二年。彼らは働くだけで一生を終え、生殖はしません。お気の毒ですね。」
ほんと。
metabo108

2007年7月27日金曜日

板取川(美濃)への釣行(2)

単独釣行の最終日。
昨日と同じ、板取川の「面平(おもひら)」に入川。午後1時。しっかり晴れて、釣り日和。
先客はすでに5人ほどあり、熊本ナンバーの3人さんも加わる。
「熊本」と言えば、今年は2度にわたる台風にて球磨川など有名河川は、とても鮎釣りどころではないに違いない。そう言えば、球磨川の上流には川辺川があり、ダムの建設問題がある。
事情が異なるのであろうが、長良川河口堰の実情を大いに参考にしてもらいたいものだ。

その3人さん、ヘチからオトリを送り、基本に忠実なスタイル。
当方は、昨日、ちょっと調子のよかった川中央のポイントに直行。
昨日、霧が立ち込めた面平の同じ場面を写真に撮ってみた。上流側(写真上)と下流側(写真下)、いかにも釣れそうな雰囲気です。
それが、なかなか釣れない。
熊本ナンバーの3人さんに先を越されてはと、鮎ならぬ「縄張り意識」を出してポイント獲得を急いだのが災いしたらしい。暫くは悪戦苦闘。夕方、4時。上の写真(上流から下流を眺めたもの)の左岸、下流側の入川階段を降りた地点の15メートルほど上(かみ)。そのブロック際の深みにて4尾が、ほぼ連荘にて掛かる。 5時に納竿。さきの3人の人たちに鮎の買取り場所を尋ねられた。釣果を聞くと、「まずまず」とのこと。

「恐れ入りました。」




2007年7月26日木曜日

板取川(美濃)への釣行

本日も単独釣行。朝方に短時間ながらまとまった雨が降る。
国土交通省の「川の防災情報」のホームページにて、長良川の水位をチェック。それほどの水位上昇はないことを確認。
9時頃に長良川の美濃に到着。平日だというのに、釣り人があちこちに入っている。
オトリ店にて、入漁券とオトリを購入し、板取川に向かう。
オトリ店にて調子がよさそうだとの情報を得ていた「睦橋」の上下は、すでに釣り人が入っている。
またも、出遅れ。単独は、これだからいけない。
仕方なく、睦橋より上流の板取川漁協組合との境に近い「面平」に入ることにした。
10時に入川。
水温は、雨のせいか低い。石も、何となく白い。垢がついていないといった様子。先客は5人。ちょっと、眺めていても、竿を曲げている釣り人なし。暫くして、霧が立ち込めてきた。

この日は、掛かった鮎の途中でのバラシが3回ほどあった。掛かった鮎も、何となく白っぽい。

板取川の調子は良好と聞いていたものの、釣果はイマイチ。

2007年7月24日火曜日

馬瀬川(飛騨)への釣行

夏休暇の第1弾。
飛騨は下呂市の馬瀬川への平日の単独釣行を計画。
下呂と言えば、日本3大温泉のひとつ。
親たちが早速に便乗。母親に伯母、伯母の友達、高齢者3人と下呂温泉に2泊することに。
1部屋で4人、なんと総年齢309歳。
23日は、旅館にじっと我慢。
24日は、素晴らしい釣行日和。朝7時に旅館で食事をとり、いざ、馬瀬川へ。馬瀬川上流漁協組合にて入川券、オトリを購入し、惣島地区の下の写真に入川したのが、9時。
遅かりし由良之助 !
すでに入川者が7名。日曜日並みである。平日だというのに何故?
川を独占し、明日のスポーツ紙の釣果欄では、「馬瀬川上流、惣島地区、中年デブ屋が25尾の釣果に喜ぶ」な~んて、掲載されるのではとたのしんでいたものを。

夕方6時には旅館に戻る必要があり、5時までたのしむ。何年か前にこの馬瀬川や近くの和良川の鮎が全国の鮎の賞味大会で1位に輝いた実績がある。
鮎のサイズは20センチ・クラス。写真のポイントの上流側に淵がある。
そこでは、ハリが持って行かれてしまうほどに、目印が飛んだ。
薄くなった「後髪」を引かれながら、川を出る。暑っ~い!

釣果は、下の写真のとおり。型は最高、香魚と言うだけあってスイカの香りがプン、プン。

山を越えて下呂温泉街の旅館に予定の時間に戻る。
釣った鮎を旅館に頼んで塩焼きにしてもらった。
下の写真のように立派に支度をしてもらい、4人で大いに味わう。
籠のなかには、炭が入れてあり、ほうじ茶の葉が燻してあった。
旅館の心配りに感謝、感謝。

2007年7月22日日曜日

荘川(飛騨)への釣行

私の釣りの師匠は、私より10歳若い。兄弟子は、さらに若い。きょうも、3人で釣行。
朝8時、荘川漁協組合前の「町屋橋」に到着。 水温が低く、鮎の活性が低いとのことであったが、町屋橋の300メーターほど下流に入川。きれいな淵があり、そこにオトリを送り込むと、ほどなくアタリがある。やはり、活性が低いせいか、目印がぶっ飛ぶといった感じではない。
昼過ぎには、3人で上流に移動。下の写真は、入川場所にあった「蕎麦」の畑。
午後の釣果としては、岩魚がハリに掛かる。体長20センチ弱。きれいなヒレである。
夕方5時に納竿。
釣った鮎は、引船に氷を入れて絞める。師匠や兄弟子の引船のなかの鮎は、勢いよく暴れている。
その点、私の引船のなかの釣果は、大人なのか物静かであった。
ちょっと、不完全燃焼ながら、ことし2度目の鮎釣りを堪能する。

2007年6月23日土曜日

馬瀬川(飛騨)への釣行

馬瀬川(まぜがわ)の鮎の解禁日です。馬瀬川の解禁日には釣り同好会のメンバーが集まります。 私も、この6年、この解禁日は皆勤です。 毎年、解禁日にはいい釣果が挙がります。 例年のように、師匠、兄弟子の3人で現地に入り。 「出逢い橋」の下流(次の写真)にて他のメンバーと合流。この場所は、昨年に引き続いての集合場所。 しかしながら、期待した馬瀬川解禁は、今回は、7尾とイマイチ。 真っ青な空、のどかな田園。竜が山を駆け巡るような雲。 スガスガしい眺果(?)ということで。