2009年4月21日火曜日

「図書館の女王を捜して」を読んで

新井千裕、久々の小説である。

実にたのしかった。「たのしくなければ、テレビじゃない。」というけど、ホント!、小説もいろんな意味で面白くなけば、いけないと思う。

この小説、非日常的な話なのだが、日常的な話のように何だか違和感がなく面白い。これまでの小説は、非日常な生活のなかでも一種独特な不思議な世界感のなかでの展開であったが、今回の小説は非日常的な世界であることは変わりないが、グッと身近な感覚である。

そのうえ、これまでと同様に随所に面白いフレーズが、散りばめられている。この小説は、リーマンショックで重苦しい日常生活を送っている人たちや、毎日、残業、残業で疲れている人たちにぜひとも読んでもらいたい。この小説は、そんな人たちにとってサプリメント効果抜群である。

だって、ほんとに通勤電車の中で読んでいても、思わず声を出してしまうほどに表現がたのしい。そうそう、そういうのってアル、アル!という表現があちこちにある。うまいなぁ~と、感心してしまう。

面白い表現に加えて、有名小説が散りばめられ、飽きさせません。噺家さんあたりも、この本の表現方法を大いに参考にすれば面白いものをと、最近のお笑いに対してお節介なことも思ったりもします。

最近、ネットでブレイクする本があるけれど、こうした小説はネットで連載して、まずは多くの人たちに読んでもらったらいいのではないだろうか。

あまり本屋で見かけないのが残念!

2009年4月19日日曜日

横浜ベイエイサイドに巨大グモ上陸

ことしは、横浜港の開港150周年にあたる。

日本にペリーがやってきたのは、自分が生まれたちょうど100年前である。

日本が黒船に度肝を抜かされたのは、そんな遠い話ではない。にもかかわらず、そんな日本が、いまや、世界を驚かすほどの経済成長を遂げたのだから、大したものである。

150年経って、今度はフランスから横浜ベイサイドに巨大クモが2匹やってきた。フランスの西部の港町からやってきたというのだが、総勢50人ほどの劇団員で構成されているのだとうのだが、街を舞台として機械仕掛けのオブジェで物語を演出しているのだという。

横浜中華街の聘珍楼のすぐ近くの路地に「山東」という小さな家庭中華料理屋さんがある。流行っていて、いつも10人ほどが店の前で行列している。そこは水餃子と春巻きがうまい。きょうも、ちょっと遅い昼食に出かけた。その帰りに人ごみに連れられて日本大通りの神奈川県庁前までやってきた。14:00頃に日本大通りと本町通りの交差点あたりで2匹の巨大グモが遭遇するというのでちょっと待ってみることに。

待てど、巨大グモがやってくる気配がない。しかしながら、大勢の人たちは、ある人は犬を連れ、あるひとはリックをしょってカメラを構えている。巨大グモがやってくるというのに、道にはロープも張っていない。なんだか、ゆったりとしている。

海のない山育ちの当方は、とても待ちきれない。横浜税関まで足を運んでみる。ひとり、ポツリと立っていたガードマンの人に聞いてみる。かなり遅れていて、まだ赤レンガ倉庫あたりだという。新港橋手前に行ってみるとまだまだ道端に腰を落ち着けるスペースがある。ちょっと、期待はずれな気分になり、連れとふたりで待つ。

やってきまして。アラ、アラ~ッ!これは大きいではないか!

クモは長くて細い足で自力で歩いているわけではない。車体つきのクレーンのような産業機械によって支えられている。近づいてくるにつれ、自分の足の裏がくすぐったくなる。小さい頃からの感触である。小さい頃、プラモデルを組み立てるときは、いつも足の裏がうづいたものだ。150数年前に黒船を見た子供たちもそうだったろうかなどと、おかしなことを考えてながら、近づいてくるクモを待つ。いよいよデス。

自分が待っている路肩には、道路の混雑を調べるセンサーが先端についたポールが立っています。下の写真の左上につき出ているポールである。先端にセンサーがついています。

これ、どうマタぐ???!

先導しているのは数人です。どうする?!

と、・・・・・・

うまいものです。長く細い足が、オスの犬が電柱に小便をかけるような格好でセンサーポールをマタいで行きます。思わず、拍手歓声があがります。

下の写真に3人が足を操っています。あの人たちの足の裏は、いまジンジンに違いない。

このあと、クモのお尻からすご勢いで水シブキが飛びます。ひとびとが、また歓声をあげます。もちろん、クモのイトです。

巨大グモは、さらに反対側のセンサーポールも下の写真のようにマタいて行きました。

やがて、2匹目の巨大グモがやってきました。久しぶりに童心にかえることができた一日でした。

横浜港は、開港以来、戦争にも巻き込まれ、関東大震災にも見舞われ、たいへんな時代を経過して今日に至っているわけですが、赤い靴の童謡、移民といったことから哀愁のようなモノも感じます。一方で、パン、牛乳、アイスクリーム、コーヒー、石鹸、クリーニング、競馬・・・というような新しいモノが入ってきたところであります。そんなハイカラなイメージが、ヒトを魅力してやまないところに違いありません。

たかだか150年、されど150年といったところなのでしょうか。