2009年8月30日日曜日

同好会の鮎釣り大会

本日、政権選択選挙の位置付けの衆議院選挙の投票日。
また、本日は毎年恒例の釣り同好会の鮎釣大会の日でもある。昨夜、期日前投票に出かけた。期日前投票所の入り口には、入室待ちの列があり、関心の高さにあらためて驚いた。
釣り大会の場所は、岐阜市内の長良川中央管内の岐関大橋の下流である。昨日の松ヶ瀬からさらに下流であり、長良川下流管内との境に近いところである。

集まったメンバーは、14名。8時スタートにて11:30までの釣果を競う。水温21度。
スタートに先立ち、クジにより順番を決める。4尾のオトリの配給を受け、順次、好きな場所を選んでいく。今回、クジは14番中の13番。オトリの配給を受けたときには、入る場所はほとんどなく、岐関大橋の下流150メーターほどの右岸に入った。ちょっとした瀬尻の部分である。オトリは流芯に向かって進んでいくのであるが、魚信はない。自分の下に入っていたTさんが3連荘である。野鮎は小さいようであるが、流芯の手前で掛かっている。
元気なオトリに交代してもらい、自分も流芯の手前を探ってみる。オトリを泳がせにしたり引きしたりと試してみる。すると、こちらも3連荘となる。4尾目の鮎は、タモの手前でバレてしまう。この逃した1尾は、大きく影響しそうな予感しきり。
さらに指ほどの鮎が掛かる。この子鮎、案外にビリビリときから驚きである。あとの鮎は、サイズがまちまちである。結構なサイズも掛かったが、まだ増水の影響が残っていたのか、痩せた野鮎であった。
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11:30、いよいよ検量である。釣果9尾。9尾がふたりあって、年齢が上により当方が4位となった。昨年が3位であったら、例の取りこぼしの鮎が、やはり3位入賞を取り逃がした結果となった。
表彰式に引き続き、バーベキューが始まる。メンバーに焼肉レストラン経営者がいて、差し入れの肉が実にうまい。
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昼食後、ふたたび川に入る。水温は23度。
今度は、下流のザラ瀬尻に入った。オトリは流芯に入っているのだが、なかなか掛からない。15時あたりから、ポツポツと掛かり始めたものの、17:00の納竿時には5尾となった。結果、本日は14尾の釣果。

2009年8月29日土曜日

長良川(松ヶ瀬)への釣行

12:30、師匠に迎えにきてもらって自宅を出発。ナント、前回に引き続き、竿を忘れる。家からは持ち出していたのです。が、しかしながら、忘れたのです。今回は、自宅を出発して5分ほどで気がついたことは、立派です。家族からは、くだものの名前を5品目、他の話題に代えてそのくだものの名前が何品目、思い出せるか。一度、テストしたほうがよいのではと、笑われる始末。アルツハイマーのテストである。イヤハヤ、気が急くのでしょうか、何かしら忘れます。

釣行先は、関市内の長良川は新鮎之瀬大橋の下流の「松ヶ瀬」である。ことし、長良川中央管内の調子は上向かないというなかで当初より比較的良好といわれる場所であり。
上の社員は、入川ポイントから見た下流である。下の写真の上流部分に見える橋が新鮎之瀬大橋であるが、この橋の上下流では鮎釣りをしたことがある。根掛かりが多い場所というのが、第一印象である。そこの部分から200メートルほど下流からが、友釣り専用区「松ヶ瀬」である。松ヶ瀬の右岸の調子がいいとの話をオトリ屋さんから聞いて、入川。入川場所は、藪の中である。


入川ポイントの対面の川原は、夏休みには家族連れの水泳ポイントにもなっている。
入川した右岸には8人ほどの釣り人がいた。対岸も同様の状況であった。
足回りを見ると、鮎のハミ跡があります。石も滑っています。ゆったりした流れにオトリを放ちます。
足元近くに鮎が石を食んでいます。
こんなに鮎を間近に見たことがありません。川中やヘチでは、鮎がピョンピョンと跳ねています。
川中に向かって竿を出したり、足元にオトリを送り込んだり、さらには間逆のヘチに向けてオトリを送り込んだりしてみます。
足元近くの野鮎は、2・3尾。大きさは、大・中・小という感じです。深みからの駆け上がりの石をジグザグに食んでいます。そこに中サイズの鮎が入ってくると、大の野鮎が蹴散らしています。小の鮎は一緒に泳いでるといった状況です。そこに、オトリ鮎を送り込んで見ます。動きが鈍く、川底で休んでしまいます。大の野鮎は、やってきません。オトリ鮎は、やがて思い立ったように上流への動きます。と、大の野鮎がやってきます。やってはくるのですが、様子を見に来たという感じで、野鮎を追い出そうという感じではありません。絡んで輪こないのです。といううちに、オトリ鮎の方が、これはこれは失礼しましたとばかりに上流に上ってしまいます。これではダメと、再びオトリ炉鮎を川下からそのポイントに送り込んでやるのですが、結果は同じです。
見えている鮎は釣れないと聞きますが、ほんとうのようです。しかし、気になり、もう一度、オトリを送り込みます、やはり、ダメです。
足元では釣れなかったものの、それでも飽きない程度に釣れます。というより、野鮎が視界に入ってきますので、飽きることはありません。ヘチでも野鮎は、目印をビューンッと、飛ばします。黄色い追星もくっきりしています。
釣りあがってみると、4時間ほどで6尾。思ったより釣れていなかったという結果。
右岸の難点は、逆光で目印が見辛いこと。
それにしても、久々にたのしい釣りができ、今シーズン中にまたまたチャレンジしたいポイント。


明日は、いよいよ同好会の鮎釣り大会である。


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2009年8月23日日曜日

「終の住処」、「鶴屋南北の恋」を読んで

磯﨑憲一郎著「終の住処」(新潮社)と領家髙子著「鶴屋南北の恋」(光文社)を読んだ。

前者は、ことし上期の芥川受賞作である。作者は、大手商社の人事部次長、現役サラリーマンである。

読んみて、こういう形式の大人の小説もあるのかというのが第一印象である。原稿用紙ビッシリと説明のような、あらすじのような形式。文学のはやり病にかかった青少年が、初めて小説を書き下ろしてみるときに書くようなスタイル。ちょっと、息が詰まる。正直なところ、芥川賞作品でなければ、書店でチラリと扉を開けてすぐに戻してしまうような印象である。

主人公は製薬会社勤めのサラリーマンの「彼」である。彼は一旦は離婚を決意するも子供が生まれるといことで離婚を見送る。やがて、娘を通じて妻と用件を伝えるのみのスレ違いの夫婦生活が11年間続く。この間、彼は転々と不倫を続ける一方、妻の浮気も疑う。ある日、突然に、彼が「家を建てるぞ」と宣言し、妻が「そろそろそういう時期ね」と11年間が何でもなかったように受け応え、他愛もなく関係修復となる。終の住処を建て始めると、彼はM&A事業でアメリカに転勤となる。家を建てると転勤辞令というのは、実際によくある話である。ともあれ、M&Aビジネスはなかなか進ます帰国できない。それでもようやくビジネスが成功して帰国すると、いるはずの娘がいない。妻曰く、娘はアメリカに行ったという。エッ!彼は妻と20年間連れ添ってきた夫婦であること、この家はふたりの終の住処であることを認識するというストーリーである。

この間、要所要所にいつも満月が見えている。

月は、常に地球に対して同じ顔を見せているもの。しかも、常に満月。11年間の夫婦の空白期間も、アメリカでの転勤生活も、さらにはこれからの夫婦の終の住処での生活も、時間は流れているのであるが、夫婦であることの事実において時間の経過はないと認識しろとでも言うことだろうか。

だから、11年間の会話なしの夫婦が、「家を建てるぞ」という彼の突然の宣言に対して、妻は「そろそろそういう時期ね」と応えることに不自然さがない。他愛のないことことで関係が修復したりする。

しかしながら、そこには、疲れたような、あきらめたような似たもの同士の夫婦の顔があって、幕となる。余韻のあるストーリーとなっている。

一方の「鶴屋南北の恋」、これも「終の住処」と同じ時期に発刊となった。このテーマも、どちらかと言えば終の住処の話である。こちらは住処を「栖」とあらわす。

鶴屋南北は、江戸時代の歌舞伎・狂言作者。南北は、1755年生まれ、1829年没というから、当時としては大往生である。その南北が没する4年ほど前からのお話であり。時代はシーボルトが長崎にやってきた頃であり、南北自身にとっては代表作のひとつ、「東海道四谷怪談」が中村座で初演され大当たりした頃から話は始まります。

この小説、読み急がず、ゆっくり読みたいという雰囲気と、読了後はいつか読み直してみたいと思わせるシロモノ。

主な登場人物は、辰巳深川芸者であった鶴次、十郎こと直江重兵衛、鶴屋南北の3人。鶴次は十郎の情人(イロ)であるが、その十郎が鶴次を鶴屋南北の愛人として紹介する。南北は十郎の実父であり、時に南北は70歳過ぎ。鶴次は、十郎の素性を知らない。十郎と南北との関係も知らない。鶴次は、南北のヒトとしての大きさに惚れ込み、南北の末期を看取っていく。

そんなふたりの別宅は、深川黒船稲荷境内の南北の隠居所の隣。その隠居所と別宅との間には戸板返しの歌舞伎仕掛けの趣向が設えてあり、浮世と隔離してある。戸板返しを隔てたふたりの別宅が、「終の栖(すみか)」となっているわけである。

終の栖でのことは、命の遊びであると南北は言う。南北は鶴次に自分の最後を看取ってほしいと願う。その鶴次は、南北の死んだ妻に似ているという設定である。何故、十郎は自分の愛人である鶴次を父親の愛人として差し出したのか、そうしたことの葛藤のなかで、心臓を患っていた十郎こと重兵衛は50歳にして看取られることなく死んでいく。

読み返すたびに新たな発見がありそうな、ほんとに面白い本であると思う。

2009年8月14日金曜日

冷凍庫の在庫整理

お盆に入ってからは天気も夏らしくなったものの、川は依然として増水している。

きょうは、冷凍庫の魚の一斉蔵出しをすることにした。ヤマメは、塩と香辛料で漬けたものがあり、昨日からこれを乾燥させている。まずは、七輪を980円にて購入し、七輪の周りに串刺しを立てられるようにドリルで穴を開けた。早速、冷凍庫に保管してあった鮎を素焼きにしていきます。この素焼きは、甘露煮にします。先日の久々野の益田川で釣った鮎は、下の写真のように塩焼きに。

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これを南天の葉とともに皿に盛り付けます。料亭並みの塩焼きになります。

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七輪の炭が残っていますので、この七輪の上に燻製器を載せてヤマメの燻製をつくります。いつもは、カセットボンベで燻製づくりをしているのですが、炭の火力には驚きました。

1時間もしないうちにご覧のような「さくら」のチップを使った燻製ができあがりました。これまでで一番の出来です。燻製も炭にかぎる。


冷たいビールに最高です。甥、姪たちにも大好評でした。

2009年8月12日水曜日

益田川上流(飛騨久々野)への釣行

「アチャ~っ!」

自宅から益田川上流の久々野まで2時間。同地には7時30分に到着。日釣り券は、2000円。飛騨は高山よりちょっと南にあたる。岐阜県下、いずれも川も調子が悪いなかこの地区が平年並みにて、相対的に好調ということで、師匠に無理を言って連れてきてもらった経緯あり。

肝心要の竿を忘れてしまった。幸いにも、師匠が予備の竿を持参していて借りることができた。ダイワの「競技」9.5メーターである。

滋賀県から遠征してきた釣り人曰く、「この益田川上流域の漁協は、今シーズンの小ぶりの稚魚放流であったため、同じ放流トン数であっても放流数が多い。このため、小さいながら、数が出る。50尾を釣ることもある。」

自ずと、期待が膨らむ。入川地点は、小屋名橋と柳島橋の中間あたりの左岸に「大のや醸造」があり、そのやや上流地点である。

下の写真は、入川地点から上流を眺めたところ。水深は、膝あたりで、深いポイントは腰あたりである。水温は19℃。

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また、次の写真は入川ポイントから下流である。下流の遠方の右岸に見えるのが、採石場である。

当初、入川ポイントの下流側で野鮎を放すも、魚信なし。

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さらに、下流に移動し、醸造工場の手前にあるビニールハウス前にて構える。やや大きめの石がある周辺を探る。暫くして、目印が上流に走る。やってきました久々のこの感触。サイズは小さいと聞いていたので、一気に引き抜こうとします。しかし、オトリ鮎の顔すら上がってきません。エーッ!?何だナンダ。ちょっと慌てます。今度は、下に走ります。重くなってきました。溜めて溜めて、竿をもった両手を徐々に挙げていきます。万歳の状態になって、ようやくオトリ鮎が顔を出します。やがって、ずっしりと重い野鮎が現れます。デカイ!小さいとばかりに思っていただけに驚きです。

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今度は、その野鮎をオトリにして放してやります。石の下に向かって行きます。川の流れの中央あたりです。

ナント、オトリ鮎が飛び跳ねたかと思うと、掛かった別の野鮎(?)がバッシャーッと飛び跳ねた。金色に輝くような魚体に思えた。一瞬、何が起こったのかよく分からない。ヤマメでも掛けてしまったのだろうかとも思った。それにしても、あの金色の魚体はなんだろうか。

オイオイ、小さかなんザァないぞ!と思いつつ、オトリを引き寄せヘソバリを付け直して放つ。今度は、まっすぐ石の下に入ります。さきほどの掛けたポイントのやや下です。

今度は、やや小ぶりというか、オトリ最適サイズです。

というような具合で飽きない程度に、ポツポツと掛かってくれます。

昼食をとって今度は、入川ポイントの上流に移動します。ここでは16時までに3尾ほど追加できたのみです。考えみれば、午前中、師匠殿が散々に釣り上げとポイントでした。

16:30納竿。釣果は、12尾。午前中の下流でのドンブリなどもあったものの、大いにたのしめた遠征となった。ちなみに、師匠は28尾、ご立派。

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2009年8月11日火曜日

鮎釣り仕掛けつくり

心配された台風9号は、幸いに東海地方にはほとんど影響がなかった。しかしながら、長良川の水位は依然として高く、かつ笹濁り状態のため釣行はあきらめ、家族とともに美濃と郡上の中間地点にある「子宝の湯」に出かけた。この子宝の湯は、長良川鉄道のホームとドッキングしているうえに、川の駅とも隣接している。川の駅は、ラフティングのスタート地点である。

夕方からは、セッセと鮎の仕掛けつくりに精を出す。

下の写真が、仕掛けの全体写真である。この仕掛は、このところ4・5年はこれを使用しているが、実績はイマイチ。この仕掛の特徴は、鼻カンが遊動式であるので、糸を引いた際に鼻には力が伝わらず、背中に力が伝わる点であると考えている。

仕掛糸は、SUNLIZE「仕掛糸スペシャル」(フロロカーボン)0.8号である。

右から、遊動式の鼻カン、次が遊動式の背バリである。左端が、ヘソバリである。

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まずは、鼻カン。糸は、FUJINO「チラシパワーX]1.0号。この糸はよってあるので、遊動部分のビーズを結ぶのに都合がよい。ボーズは、極小を使用。ビーズと鼻カンの間の糸の長さは、1センチ。この長さは、1.5センチがよいのではとも考えている。 P1050038

仕掛けつくりには、写真下のようなバイスが便利である。バイスは、フライフィシングの毛鉤つくりの必需品である。

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次に、ヘソバリ部分。 ここでは、仕掛イトの先端をライターで燃やし先端に紅葉花火のような玉を作り、ヘソバリに仕掛糸を固定する際にすっぽ抜けないように注意しています。

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最後に背バリです。ここも、遊動式なのですが、ここを遊動式にしているのは、オトリ鮎のサイズを調整するためです。ハリにチュウブ管を背負わせ、チュウブ管には仕掛イトを通しておきます。ここでちょっと厄介なのが、イトの縛りの強度です。キツ過ぎると、遊動に支障をきたします。イトでハリとチュウブ管を固定したあと、瞬間接着剤をたらすので、この接着剤でチュウブ管が縮むので、その加減が難しい点です。 P1050046

結構、気に入っている仕掛ではあるものの、現場では、仕掛のモツレが多いのが困りものです。

2009年8月9日日曜日

板取川への釣行

8月8日から16日まで夏休暇。7日夜に飲み会があり、帰郷が0時過ぎとなり、8日は出鼻をくじかれた。昼近くになり、関市内の長良川の様子を見てみたが、7日の雨で増水。誰も竿を出していない。そこで、板取川に向かった。ここは、あまり雨の影響がないものの、それでもいつもより30センチほど水位が高いものの、それなりに釣り人が入っている。「面平(おもひら)」を見ると、左岸は3人。右岸に5人が入っている。長雨が続いてコケが流され、ようやく平水に戻り、いよいよというときに7日の雨。まだ、コケもつかないままといったところか、竿を仕舞う釣り人もあるといった状況。

入川は止めた。帰路、車窓から、竿が曲がるのが目に入った。右岸の屁地である。

それが、本日、入川したポイントが、下の写真のまさにそのポイント。11:00に入川。所用があり、14:30までに帰宅する必要があります。短時間の勝負です。短時間ながらも、やってきたのは、長良川本流が依然として水位が高いこと。昨日の竿の残像に引きつられてためである。P1050020 水温18℃、水位はまだ20センチほど高い。石には、ヌルッとした感触はなく、やはりまだ早いといった感じ。

オトリを放して間もなく、ゴトゴトッという感触とともに目印が走ります。

やはり、正解と、期待したものの、例によってバラシです。

P1050019それから1時間、魚信もなく、川下に少しずつ釣り下がっていきます。それでも、駄目です。あきらめて、そろそろ、帰ろうかというときに、目印が下がっていきます。針が水中イトに引っかかったのかと思いきや、ナント、下の写真のようなチビ鮎でした。

残念!時間切れです。

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