2010年3月12日金曜日

芝神明(東京都港区)

東京港区は東京タワーのふもとに「増上寺」がある。ご存知、徳川家の菩提寺である。もともと、「芝神明神社」は1600年あたりまではこの増上寺あたりにはあったらしい。現在、芝神明は、増上寺の海側100メートルほどにある。江戸時代は、神田明神のように祭りも賑わったようである。いまも神輿がくりだし賑わってはいるが、神田明神ほどマスコミにはとりあげられていないのは、残念。

現在の芝神明は、下の写真のように、ビルに囲まれ現代的な趣である。これは、関東大震災や太平洋戦争を経た結果のようなのだが、関東の「お伊勢さま」と親しまれ、歴史は1000年を超える。

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この芝神明で有名なのが、1805年春の「め組の喧嘩」である。

め組は、徳川吉宗が組織した江戸の火消し組織のひつである。芝神明は、め組の所轄であった。下の写真の狛犬の台座にも「め組」としるされている。め組の頭、辰五郎は、組のものと連れ立って境内で催されていた相撲を見物に。火消しは木戸銭はタダというのが慣わし。ところが、火消しの知り合いもそのタダ見に加わっていたため、力士の九竜山が文句を言い、喧嘩となる。この喧嘩は、仲裁が入り、一旦は収まるのだが、面白くない辰五郎たちは芝居見物に出かける。運が悪いことに、この芝居見物に九竜山もやってきて、辰五郎と鉢合わせになる。江戸の喧嘩は長崎でってなわけで、芝居をぶち壊しにする喧嘩となってしまう始末。火消し側は半鐘を鳴らして仲間を呼び、相撲側も力士仲間が駆けつけるといった具合に事はいよいよ大きくなる。厄介なのは、火消しの所轄は江戸町奉行であり、一方の相撲は寺社奉行が所管していたため、喧嘩がいよいよ複雑になってしまったというものである。この喧嘩のときに鳴らされた半鐘は、非常時以外に鳴らしてはならぬという掟を破ったとして遠島のお裁きとなったらしい。明治に入って、芝神明にもどされ、現在も「め組の半鐘祭り」なるものが執り行われている。

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この話をもとにしたノンフクション実話が、歌舞伎の「神明恵和合取組」(かみのめぐみわごうとりくみ)という演目になっているらしい。火事と喧嘩は江戸の華、喧嘩に命をかける江戸っ子の心意気を描いているようです。この歌舞伎、残念ながら、いまだ観たことがない。

ここに登場する辰五郎は、同じ火消しでも「新門の辰五郎」とは違う。新門の辰五郎は、江戸後期の「坂本竜馬」の頃で、勝海舟と親しかった人物である。

ところで、この芝神明、もうひとつ、知る人ぞ知る有名な話がある。

西銀座デパートの宝くじ売り場の人たちが、参拝ににやってくる神社なのである。西銀座デパートの宝くじ売り場と言えば、年末ジャンボの売り出し日には長蛇の列ができ、毎年、ニュースにとりあげられる、あの売り場である。

何でも、江戸時代、芝神明の境内にて行われた富くじで100万両が出たというのである。

ここの御守、密か(?)に持っています。

こんな不景気な時代、何となくご利益のありそうな風格ではありませんか。