2021年11月28日日曜日

20211128 里芋を戴きました

  天気晴朗。

 朝9時から里芋堀りに参加。昨年の芋掘りも、ちょうど、高山小旅行の翌日のタイミングでした。この時期、毎年、釣り同好会のTさんがメンバーを里芋掘りに招いてくれます。

 到着すると、Tさん夫妻が、里芋の葉軸を切り取り、マルチも剥がして、掘るばかりに準備していてくれました。Tさん夫妻には、頭が下がるばかりで、感謝、感謝です。

 当方の自宅では、土垂れ種の里芋をつくっていますので、円空芋を大きな袋に入れてもらってきました。大きな親芋も8個。来年、この親芋を種芋にして円空芋を育ててみようと思っています。Tさん曰く、親芋を種芋にすると、成長が早いそうです。

 Tさんは、自宅から軽トラにサツマイモ、アラブ芋などを積んできて、メンバーに分けていました。わが家のアラブ芋は、Tさんからもらって育てています。





 芋を掘りながら、釣り談議に花咲きます。やはり、釣りが好きなんですねぇ。
 武漢コロナな影響で釣り同好会の企画も縮小されていますが、何と言っても、単独釣行とならざるを得ず、心許ないところです。

2021年11月27日土曜日

20211127 飛騨古川・高山を訪ねて



  かねてより予定していた家族小旅行、ちょうど1年前と同様、飛騨古川・高山を1泊2日にて訪ねました。

 飛騨地方は、曇り・雪の予報でしたので、出発の前日、急遽、スノータイヤに交換しておいたのですが、正解でした。

 26日午前9時に自宅を出発。東海北陸自動車道を北上。

 ひるがの高原サービスエリアにて休憩。大日ヶ岳(だいにちがだけ)は、うっすらと積雪があり、ゲレンデがクッキリと浮き上がっています。

(20211126  大日ヶ岳)
 昨年は、飛騨古川に足を伸ばすことができなかったため、今回はまず古川へ。古川には、11時頃に到着。飛騨市市役所の駐車場が観光客に無料公開されています。
 ここ飛騨古川は、5年ほど前にアニメ「君の名は」が大ヒットし、聖地めぐりの観光客で大いに賑わいました。前回、ここを訪れたのは、NHK朝ドラ「さくら」が放映されたあとでした。調べてみると、「さくら」の放映は、2002年だったようですので、20年近く前ということになります。
 きょうは、三寺参り(円光寺、真宗寺、本光寺)と渡辺酒造を訪ねます。
(20211126 飛騨古川・壱之町)

(20211126  飛騨古川、立派なネギが1束130円)
(20211126 サックと揚げたて飛騨牛コロッケ)
(20211126  飛騨古川・壱之町通り)

(20211126  飛騨古川・本光寺)
(20211126   「あゝ、野麦峠」の工女像)
(20211126  かつて工女が飛騨各地から集まった老舗旅館「八ツ三館」)
 女工哀史のことは、真宗寺近くの「飛騨古川さくら物産館」に資料コーナーが設けられていて、大竹しのぶ主演の映画「あゝ野麦峠」のパネルなどが展示されていました。
(20211126  飛騨古川・蕎麦正なかやにて昼食)

(20211126   飛騨古川・真宗寺)
(20211126  飛騨古川・渡辺酒造の一角にある「杜氏酛摺り像」)
(20211126  「杜氏酛摺り像(とうじもとすりぞう)
(20211126  飛騨古川・渡辺酒造 1)
(20211126  飛騨古川・渡辺酒造 2)
(20211126  飛騨古川・渡辺酒造 3)
  渡辺酒造は、内外のお酒の賞を連続して獲得している「蓬莱」のブランドで有名な酒蔵です。伝統のある酒蔵ながら、新たな挑戦もしていることで話題となっています。
 ちょうど、新酒が出たばかりですので、「しぼりたて新酒」と「一番にごり」を買い求めました。
(20211126  白壁土塀街 1)
(20211126  白壁土塀街 2)
 飛騨古川では、白壁土塀街の瀬戸川に泳ぐ1,000匹の鯉が有名です。冬に川が凍るため、先週、池に引っ越したというニュースが流れていましたが、やはり川に鯉はいませんでした。残念。

(20211126  飛騨古川・円光寺)
 宮川沿いに古川から高山に移動するのですが、釣りやすそうな川相が続き、車の駐車スペースを確認しながら眺めていました。 
 宿泊先は、昨年と同じ高山市内のホテルですが、ホテルに入る前にオークビレッジ高山、柏木工ショールームを訪れました。自分が、田渕義雄ファンであったことを改めて認識しました。生涯、一つ、自分の椅子を手づくりしたいという思いを新たにしたところです。



 翌日は、予報通り、雪がちらつきました。朝早く、家族は前回と同じパン屋さんの整理券を取りに出かけ、パンとケーキをゲット。また、ホテルをチェックアウトした後は、「キュルノンチュエ」という生ハム、ソーセージ類の店を訪ねました。店内には、白カビ熟成の乾燥ソーセージがたくさんブラ下げられていました。息子が、えらく買い込んでいたのですが、安いと思って買い込んだところグラム売りだったと、予定外の金額に額に汗しているありさま。


(20211127  キュルノンチュエの店内1)
(20211127  キュルノンチュエの店内2)
 午後、私は、高山市文化会館で開催されていた企画に参加するため、家族とは別行動。午後3時に合流して、帰宅へ。
 東海北陸自動車道に入って、飛騨清見からひるがの高原あたりまでは雪が降っていました。
(20211127  中部自動車中間道の高山−飛騨清見間 1 )
(20211127  中部自動車中間道の高山−飛騨清見間 2)
(20211127  中部自動車中間道の高山−飛騨清見間 3 )
 5・6年前までは釣り同好会の人たちに連れられて、ときどき、飛騨にはきていました。しかしながら、往復するばかりで観光地などを見て回ることはなかったのですが、現役を引退した今、来シーズンからは安い小さな宿に泊まりながら釣行することも考えたいもの。

2021年11月24日水曜日

20211124 キャベツ、ブロッコリーは順調です

 きょうは、薄曇りの肌寒い一日でしたが、昼あたりは陽が出ていました。

 午前中、キャベツ(彩風)とブロッコリー(ハイツSP)の様子を見たところ、順調でした。苗を定植したのが9月20日と、2週間ほど定植のタイミングが遅れたものの、安心しました。また、当初から、虫除けネットを張っていたこともあり、虫喰いにあわずにすんでいるようです。

 12月に入って収穫しようかと思っています。





2021年11月23日火曜日

20211123 人道の港・敦賀を訪ねました

 きょうは、くもり、肌寒い一日でした。
 きょうは、かねてより予定していた福井県の敦賀市を訪れました。
 敦賀には、東海北陸自動車道---(一宮)---名神高速道路---(米原)---北陸自動車道を利用して、1時間30分ほどです。
 米原から敦賀までの北陸道は、田園風景といい、山間部の紅葉といい、綺麗でした。

(20211123  北陸道「賤ヶ岳サービスエリア」の紅葉)
(20211123  北陸道「賤ヶ岳サービスエリア」でケンミンショウで紹介されたサラダパン購入)

(20211123 まずは「気比神宮」(けひじんぐう)さんにご挨拶)
(20211123  「気比神宮」)
 岐阜県には杉原千畝(すぎはら ちうね)の生誕の地・八百津町に「人道の丘」があり、福井県の敦賀には「人道の港」があります。
(20211123   敦賀港 )
(20211123   敦賀港赤レンガ倉庫 
(20211123  敦賀港赤レンガ倉庫内のジオラマ1)
(20211123  敦賀港赤レンガ倉庫内のジオラマ2)
(20211123  敦賀港近くの海鮮料理店にて昼食)

 杉原千畝は、1940年代、「6,000人の命のビザ」で有名なユダヤ人を救った元外交官です。ナチス・ドイツの迫害から逃れたユダヤ人の一部が、リトアニアで杉原から日本の通過ビザを発給してもらい、シベリア→日本を経由して世界各地で生きながらえるわけですが、彼らが日本に上陸した港が敦賀港です。
 敦賀港は、もともと北前船で栄たところですが、明治時代からウラジオストクとの定期船があり、シベリア鉄道を介してヨーロッパとも繋がっていました。
 また、敦賀港は、その20年前の1920年代にも、第1次世界大戦・ロシア革命で犠牲となったポーランド孤児・756人を受け入れた、まさに「人道の港」となっています。
   その敦賀港の一角に「人道の港 敦賀ムゼウム」というミュージアムがあり、これらの史実についての資料が常設展示がなされています。

(20211123   旧・人道の港 敦賀ムゼウム )
(20211123   新・人道の港 敦賀ムゼウム 1)
(20211123   新・人道の港 敦賀ムゼウム 2)
(20211123   新・人道の港 敦賀ムゼウム 3)

  きょうは、そのムゼウム(ポーランド語「資料館」)の企画で映画「ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち」の上映会があり、それに参加しました。
 杉原千畝が「日本のシンドラー」と呼ばれるのに対して、ニコラスは「イギリスのシンドラー」と呼ばれる人のようで、感動的なストーリーでした。

 敦賀港に隣接して、「気比の松原」があります。
 この松原は日本三代松原のひとつとのことですが、ポーランド孤児たちも訪れた海岸です。
 
  海岸に打ち寄せる波の音には驚きました。

(20211123  気比の松原 1 )
(20211123  気比の松原 2 )

 波静かな湾内にもかかわらず、海岸線の間際の底から湧き出でるように波が起こり、唸って打ち寄せてくるのです。
 海のない県民からすると、なんだか恐ろしい気します。
 それは、近くの案内所に「不審船に注意」の看板を見たせいでもあるかもしれません。

(20211123  気比の松原 3 )

 かつては確固たる信念をもっていた日本、いつまで、拉致された人たちを救出できないような情けない国であり続けるのでしょうか。