2009年3月21日土曜日

小鳥川への釣行

今シーズン、初の釣行。師匠、兄弟子の3人にて、わが家を早朝5:30分に出発。
行き先は小鳥川(おとりがわ)。飛騨地方にある。富山県に神通川という大きな川がある。その上流、岐阜県との県境あたりで高原川と宮川に分かれるが、小鳥川」はその宮川の支流となる。
朝方の気温はまだまだ冷える。8時頃から成魚放流があった。ヤマメ、ニジマス、イワナである。
シーズン初のお祭り気分で、大いに釣ろうと楽しみに竿を振る。
エサは、イクラである。

昼近くになり、ポカポカ陽気となる。
日陰には残雪はあるものの、あっという間に春が訪れる。
飛騨の春は美しい。新緑で山燃ゆるといったなか、川面に新緑が映って釣り糸の目印も見づらくなって難儀しするほど。
しかし、どうしたことかきょうは釣れない。
釣果は、ヤマメ5尾、ニジマス1尾のみ。
13:30に引き上げ。東海北陸道は、3連休のナカ日にて「ひるがの」パーキングはえらく込んでいた。





2009年3月16日月曜日

「秋月記」を読んで

2月中旬の日経新聞の夕刊の書評を読んで、早速、葉室 麟 著「秋月記」(角川書店)をアマゾンに注文したのが、届いたのが3月13日。
時代小説である。
 舞台は、福岡藩の支藩である「秋月藩」。秋月藩は、本藩の代役としての長崎警備に加え、藩内の石橋建造、幕命による事業にり、未曽有の財政難の状態にある。
 時代は、1700年代終わりから1845年までの江戸時代末期。
 登場人物は、間小四郎(かざまこしろう、後の「余楽斉」)と7人の仲間たち、秋月藩家老・宮崎織部、小四郎の妻・もよ、藩教授の娘・猷(みち)、宮崎屋敷の奉公人・いと、福岡藩側関係者としては、姫野弾正・三弥親子、秋月藩御用請持・沢木七郎太夫ならびに井手勘七など。
筑前の秋月藩は、江戸初期に福岡藩から分かれた城も持たない支藩であり、本藩である福岡藩からの独立を目指す。一方、福岡藩は秋月藩の乗っ取りを画策するという物語。物語の構成は、余楽斉が流罪を言い渡されるシーンからはじまり、若き頃の自分・小四郎の幼き頃からを振り返って最後にスタートの場面に戻るという構成である。
 配送までの待ち時間に期待が膨らみすぎたキライはあるものの、たのしめた。
 秋月藩の家老・宮崎織部は、君側の奸として小四郎ら若手7人衆が本藩に直訴することによって失脚。ところが、家老・宮崎は「本藩が秋月を乗っ取るつもりなら乗っ取らせる。そのかわり、秋月が背負った借財は本藩に返済してもらう。そのうえで秋月を再び独立させれば借財が消える。」、すなわち、虎穴に入って虎子を得る式に秋月藩の行く末を考えていた人物。この「織部崩れ」により、小四郎は出世するのだが、本藩から派遣された秋月藩御用請持により秋月藩は乗っ取られていくことになる。これに気づいた小四郎は、秋月藩の独立を画策する。年を重ねる毎に7人の仲間は立場が異なり反目しつつも、独立を維持しようと奔走。この間、小四郎は、かつての織部のように嫌われ役に徹し、隠居する。名を余楽斉とする。やがて、秋月藩は土佐、山内家から婿をとり藩主とするも、その藩主が参勤交代用の御座船建造という浪費計画を進めようとする。余楽斉は、この養子の藩主を早々に隠居させようと画策。これが発覚し、かつての織部のように流罪を言い渡される。
 土佐の山内家といえば、一豊であるが、山内家は愛知県一宮市の木曽川の出である。この本の表紙の装画は、河合玉堂の「渓雨紅樹」である。実は、河合玉堂も一豊と同郷である。ちょっとした縁である。
 
 巻末で、余楽斉が老いた織部を訪ね、会話するシーンがある。
「ひとは美しい景色を見ると心が落ち着く。なぜなのかわかるか」
「さて、なぜでございますか」
「山は山であることに迷わぬ。雲は雲であることに迷わぬ。ひとだけが、おのれであることを迷い、疑う。それゆえ、風景を見ると心が落ち着くのだ」
この会話を味わうためにこの小説があるよう。ちょうど、茶道の一服のお茶のよう。
さらに、そのあと、余楽斉が妻・もよの臨終を振るかえる場面。
昼間の暑い日差しが庭にこもり、庭木からは煩いほどの蝉しぐれが聞こえていた。余楽斉が枕元に座ると、寝ていたもよがうっすらと目を開け、
「あなた様も少しおやすみななりませねと」
と言った。余楽斉は頭を振った。
「なんの、わたしにはまだやらねばならぬことがあるのだ」
もよは微笑してかすかにうなずいたようだったが、その時には息を引き取っていたというシーン。
これも茶道の一輪の花のようで、これまたいい。
独立というテーマでは、沖縄を舞台にした「テンペスト」と「秋月記」はスケールは格段い違いはあるものの、たのしめた一冊。