2008年12月18日木曜日
東京タワー50周年記念イルミネーション
12月1日にタクシーに乗っていてダイヤモンド・イルミネーションを見て驚いた。その時は、東京タワーの50周年のことは知らなかった。実にきれいであった。写真を撮りたいと思っていたが、その翌日は、通常の冬バージョンであった。
東京タワーのホームページでイルミネーションのことを調べ、この写真が撮れた次第。
浜松町の世界貿易センタービルの40階展望台より撮影。15人くらいの人たちが、本格カメラを持参して撮影していた。
やはり、暗いなぁ~。
東京タワーの背景にある高層ビルが、かのⅠT総本山、六本木ヒルズである。夏頃には、もっと、ピッカピカの夜景だったように思うのですが。 景気を反映して残業者があきらかに少ないようだ。
下の写真4枚は、18日の19:50、20:03、20:10、20:15時点の写真である。
19:50 ランドマークライト
20:03 ダイヤモンドヴェール・スペシャルレインボーへの移行直後
20:10 ダイヤモンドヴェール・スペシャルレインボー
20:15 ダイヤモンドヴェール・ホワイトダイヤモンド
2008年12月16日火曜日
ブタはなぜ糖尿病にならないのか?
診断結果は、恥ずかしながら帰って参りました「糖尿病予備軍」でした。
ナント言っても、metabo108ですから。
今回の健診の結果は、胴周りは100ちょうどデス。
この際、このブログをダイエット日記にでも変更してみようかとも、考えてみます。
いつだったか、「ブタはなぜ糖尿病にならないのか?」というような論文を読んだことがある。
診断結果をみて、あらためてこのタイトルにてインターネットを検索してみました。
「 ブタはなぜ糖尿病にならないのか?」、これではすでにヒットしません。
いろいろ検索すると、「Why don't pigs get diabetes?」の論文の要約がヒットします。
ところで、ブタと言えば、スペインのイベリコ豚が有名です。そう、ドングリを主食としているという例の高級生ハムのブタです。
このブタ、家畜のブタと一緒に飼育すると、メタボというか、糖尿病になるというのです。
つまり、イベリコ豚は野生のまま肥っても正常であるが、家畜と一緒にカロリーの高い飼料で育つと心筋梗塞を起こすというのです。
もうひとつ、ヨーロッパ人には糖尿病患者が少なく、日本人には多いようなのです。
ヨーロッパでは、現在のような高カロリーの食事を17世紀あたりから絶えず食した経緯があります。この400年の生命の営みを経て、人類の適用力としてヨーロッパ人はインスリンの分泌を活発にし、結果として糖尿病になりにくい体質を獲得したというわけです。一方の日本人の高カロリーな食事の歴史は、まだまだ戦後の話です。従って、日本人はインスリンを活発に分泌する適応力を獲得してないというわけです。
ヨーロッパ人がインスリンの活発化を図っていた際、日本人は、専らアドレナリンの分泌を優先させていたのかも知れません。
では、日本人は、後世の日本人のためにも糖尿病と戦いながら、旨いものを食べ続けるべきとか言うと、そうもできません。
今となっては、いつか見たネット情報を確認することはできませんが、いずれにしても人間の適応力と言うか、進化といかいうものはたいしたものだと思います。
そのうち、心筋梗塞などというものも適用できるようになるのかもしれません。
突然変異こそが、生き延びる種を決めるのだと思っていたのですが、静かな変異とも言うべき「適応力」なるもの、すごいものだと感心した次第。
となると、糖尿病患者ないしは予備軍は高カロリー食の現代食生活よりも、イベリコ豚のようにドングリ生活をモットーとすべきなのかもしれない。
ガンバレ、モード学園
2008年12月13日土曜日
黒木 亮 著「エネルギー」ほかを読んで
サハリン2の事業主体である「サハリンエナジー」が、サハリン南部のアニワ港で建設をしていた石油積み出し基地のことである。
この話は、今年の9月中旬頃に読んだ黒木 亮 著「エネルギー(上・下)」(日経BP社)の経済小説に実名にて描写されている。黒木 亮 氏は、三和銀行、三菱商事での勤務経験があり、国際協調融資、プロジェクトファイナンスの案件を手がけたことがあるようだ。従って、経験と取材に基づいたストーリー展開であるため、小説とはいえ実像に近いストーリーのように思われる。
この5人が、第2次湾岸戦争、アジア通貨危機、ロシア資源ナショナリズムを時代背景として、それぞれのプロジクトを推進したり、断念したりといったストーリー展開である。
国際的なビックプロジクトの実像の一面を知るという意味では、興味深いが、われわれ一般人には隔世の感がある。
この「エネルギー」のあと、「巨大投資銀行」、デビュー作である「トップ・レフト」の3作を読んだが、いずれも同様の読後感を持った。
国際金融の専門用語は、文中にも散りばめられているが、巻末にもまとめて解説が掲載されている。
しかしながら、世界を舞台にしたスケールの大きなストーリー展開ではあるが、何かモノ足りなさもある。
小説の原稿量は多いのだが、それでも何となくあらすじを読んでいるようなモノ足りなさである。
それは、これだけのストーリー展開であるにもかかわらず、これら小説にはロマンスの展開もなければ、人間臭い部分もさりげない。
2008年12月11日木曜日
なんだか暗い東京の夜景
2008年11月15日土曜日
2008年11月3日月曜日
2008年11月1日土曜日
2008年10月26日日曜日
2008年10月24日金曜日
ホップ、シャンソン、詩吟と『恋愛時代』
新横浜あたりから、新幹線のFMを聴きながら、本を読む。
今読んでいる本は、中沢 尚(なかざわ ひさし)著「恋愛時代」(幻冬舎)。
文章がなかなか小気味よく、音楽を聴きながらの読書に向いている。
登場人物は、離婚した元夫「早勢理一郎」と元妻「衛藤はる」とその仲間たちといったところ。
今月の新幹線ミージックチャンネルは、ヘイリーの「純~21歳の出会い」から、「白い色は恋人の色」、「ハナミズキ」、「花」、「時代」といったポップ、クレール・エルジエールの「パリ、愛の歌」から「ムーランルージュ」、「パリの空の下」などのシャンソンである。
ふたりの行き違いの物語が、何だかこの音楽によくあっていて心地がいい。
終盤近くになると、元夫の空白の時間が何であったか分かる。
となると、ストーリー展開は、オイオイ、アメリカ青春映画の『卒業』かよ?
そう、ダスティン・ホフマン演じるベンジャミンが、キャサリン・ロス演じる花嫁のエレーンを教会から連れ去り、バスに乗ってどこかへ行ってしまうというアレ。
『卒業』とは逆に、女性(元妻)が男性(元夫)を連れ去るってか?
それはちょっと、いただけないナ、と思っていると最終章へ。
名古屋から岐阜へ。岐阜駅のホームでちょっと時間待ち。
さらに本を読んでいると、ホームの端からナマ詩吟が聞こえてきます。
ちょうど自分と同世代かなと思うような男性です。聞いていて、イヤな感じはしません。詩吟のことは、よく分からないのですが、うまいなぁなんて感心するほど。
な~るほど、そうくるか。
最終章を読み終えると、さらにほんとうの最終章があった。
この小説、同じタイトルで韓国でドラマ化された。
元妻をソン・イェジン、元夫をカム・ウソンが演じている。これまた実に面白い。結末を知ったいま、彼らが演じる「はる」と「理一郎」が、自分が小説を読みながら描いたイメージとどう違うか、たのしみだ。
2008年10月18日土曜日
2008年10月12日日曜日
秋祭りと納竿祭
稲も黄色く色づき、まもなく収穫。ことしは、台風の影響もなく、豊作のようで何より。
一方、秋の祭りが終わるまでに正月菜(小松菜)の種蒔きを済ませろという、地元の暦があるらしく、わが家では祭りの賑わいを聞きながら、種蒔きをした。
(写真上:正月菜(小松菜)の苗床)
仕事は親の管轄下であるが、ちょっと入院中のため、段取りがよく分からない。
インターネットで種の蒔き方を検索。ウネを平らにして、そこに15センチほどの幅で2列に種を蒔く。
土をフルイに掛けて種の上にかけ、表面を木のコテなどで上から押さえつける。これで完了。
周りの畑を見ると、ネットをしているところが多い。
買い置きしてあるネットを見つけ、種蒔きをしたウネにカバーを施してみる。
きっと、雨、風にも蒔いた種は飛ばないだろうと。
これが蛇足。
カバーの本来の目的は、虫よけらしい。
種を蒔いたウネのカバーは、意味がないらしい。
折角だから、カバーはそのまま。
まだまだ駆け出しの初心者マーク。
次に、ブロッコリーの苗を植える。第2弾である。
第1弾は、以前、親が植えており、すでに20センチほどに成長している。
これは、正解のようだ。確かに、第1弾のウネには虫除けのカバーがしてある。
午後3時30分より、師匠宅にて鮎釣りの竿納めのバーベキューパーティがあり、夫婦にて参加。
兄弟子夫婦、師匠のふたりの娘さんとその友達も集まり、鮎の塩焼き、鮎の甘露煮、焼肉(牛・豚・鹿・山鳥)、たこ焼き・・・と、舌鼓。
たのしい鮎シーズンも終了。課題は、丁寧な仕掛け作り。丁寧な仕事は裏切らない。畑仕事とまったく同じだ。「分かってるよナ」と、自分に言い聞かせてみる。
「つり人」10月号に終盤の鮎釣りポイントの特集があり、郡上在住の白滝治郎(しらたきじろう)氏が長良川の「千疋大橋」の上流を紹介している。ここはまさしく、今シーズン、3回ほど釣行しているポイントである。なかなか、紹介されているようにはいかない。
ところで、ことしの利き鮎大会(高知県友釣連盟主催「清流めぐり利き鮎大会、9月29日開催)では、全国52河川の鮎が出品され、グランプリは長良川の郡上(ぐじょう)鮎、準優勝に神崎川(岐阜県美濃地方)が決まった。これまでも、岐阜県は飛騨地方の馬瀬川(まぜがわ)、和良川(わらがわ)がグランプリを獲得しており、連続して名誉の優勝を果たしている。つまり、県内の河川、それほどにきれいだということであり、釣りファンの一人としてこの名誉を維持するためにもマナーを守っていきたい。
今シーズン、いろいろ反省点はあるものの、たのしい鮎シーズンでありました。
2008年10月11日土曜日
『テンペスト』(池上永一著)
時代は、19世紀。現在、放映中のNHK大河ドラマ「篤姫」と同時代の沖縄、琉球王国の話。
清国と薩摩藩の狭間で柵封体制を維持しながら、主権国でありつづけようと奔走した人たちの絵巻物のような歴史小説である。
主人公は、真鶴(まづる、女性)=孫寧温(そんねいおん、宦官)。
物語自体は、ヨーロッパ、アメリカのアジア進出という大きな波なかでの琉球王国の存亡という大きな歴史の流れをタテ糸に、主人公の韓流ドラマ「大長今(チャングム)」的な浮き沈みの人生をヨコ糸として織り成したようなイメージである。しかしも、この主人公は、チャングム、ミン・ジョンホ様、側室になったイ・ヨンセの3人を加えたような人物であり、物語に金糸の厚みを加えたような展開である。
この本は、絵巻物のような歴史小説でありながら、読後感として聞得大君(きこえおおきみ)の魂の叫びのような余韻を感じるのは、作者が沖縄生まれというせいだけではなさそう。
その後の「沖縄」、いまの「日本という国」に自ずと思いが至る。
☆、3ツです!
杉原千畝とその夫人のこと
千畝は、すでに逝去(昭和61年)している。この8日に幸子夫人が97歳で亡くなったとの記事が、本日の新聞に掲載されいる。
千畝は、わが岐阜県が誇る人物のひとりである。
千畝は、わが家から東に車で1時間足らずのところにある八百津町の生まれである。
家族で横浜から岐阜に戻った折、おそらく7年ほど前、子どもたちを連れて八百津町を訪ねたことがある。杉原千畝の偉業を記念して「人道の丘」がつくられ、そこに記念館も建てられている。
何年か前、TVドラマで反町隆史主演にて「6000人の命のビザ」(?)とか題して放映されたことがある。子どもたちに尋ねたところ、「人道の丘」に行ったことは、はっきりとは覚えていなかった。この番組みは、飯島直子が夫人役を演じており、幸子夫人著「六千人の命のビザ」をふまえてドラマ化されたものだったように思う。
そのドラマが放映される何年か前、ヒレル・レビン著「千畝―1万人の命を救った外交官杉原千畝の謎」(清水書院)を本屋で偶然に見つけ読んだことがある。
その本は、千畝の偉業は偉業としつつも、千畝のスパイ説、千畝の前妻・クラウティアへのインタビューの内容を紹介するとともに、幸子夫人にも冷たい視線が注がれていた。
そのTVドラマを観ながら、「この奥さんのことは、美化しすぎているという人もある。」などと、子どもたちに話したことがある。それは、随分と分厚いその本をふまえてのことであった。
あとから知ったことであるが、この本をめぐってはいろいろな議論があるようだ。
翻訳の問題、捏造等々、反論もかなり出ている。
遺族の名誉がかなり傷つけられたようだ。
そういう意味で、わたしも名誉を傷つけてしまった一人である。
本日の記事を見て、そのことが思い出された。
子どもたちは、テレビを観ながらそんな話を父親がしたことなど、覚えていないと言うかもしれない。それでも、書いて置かなければと思った次第。
杉原千畝の名誉回復は、驚くほどつい最近のことである。
あの鈴木宗雄議員の尽力によるところ大のようだ。
2008年9月28日日曜日
寒川神社
ゴルフ場は、JR東海道線の「二宮」駅である。きょうは、ハナから、横浜に戻る途中にの寒川神社(さむかわじんじゃ)に立ち寄ることにしていた。JR東海道線の「茅ヶ崎」駅にて相模線に乗り換えて近いことは承知していた。家族にて横浜住まいをしていたころから、毎年、寒川神社への参拝はを欠かさなかったものだ。
13年近く前に家族4人と甥の5人が、車で岐阜に帰郷。甥は、大学を卒業して郷里に就職するためにわが家の車にて一緒に帰郷したというわけである。その帰路、みんなでこの寒川神社に参拝したことが、つい先日のように思い出された。
当時、本殿は工事中であったが、いまや立派な本殿が完成している。平成9年に竣工したようだ。
その集団帰郷が、私の逆単身赴任のスタートの日でもあった。
ここ、相模国一之宮寒川神社は、「八方除」で有名である。
この日、ひとりの女性が、熱心に宮司さんにこの神社のことを尋ねていたのが印象的であった。
きょうは、一人での参拝である。JR相模線にて「寒川」駅にて下車してしまった。下車してから、駅を間違えたことに気づいた。「寒川」駅からは、循環バスを利用して神社にたどり着いた。
帰路は、「宮山」駅から乗車。そう、ここは寒川駅で下車してはいけない。寒川神社の最寄駅は「宮山」駅です。
横浜の一人住まいに戻って、郷里の家族に寒川神社に行ってきたことを報告。
2008年9月23日火曜日
長良川への釣行(千疋大橋)
橋の上流には5人ほどの先行者がありますが、広さは十分すぎるこどです。上流の採石工場の前にあたりにあるチャラ瀬に向かいます。チャラ瀬の尻に入ります。前回、調子の良かった例のブロックの前ですが、水位の関係でとても対岸には近づけません。川幅の中間くらいのとこでスタートします。
スタートして2・3分で15センチほどの野鮎が掛かりました。これをオトリに交換して放してやると、オトリが流芯に向かう途中で強いアタリがきました。流れもあり、なかなか水面に上がってきません。竿は大きく弧を描きます。下竿になってしまいました。これ以上、頑張ると野鮎が身切れするのでなないかと心配になります。やや、岸に移動しながら、竿をさらに曲げます。ようやく水面から上がりました。水面から上がると、スッポ抜けるようにオトリと野鮎が自分の方に飛んできます。顔の前でキャッチです。タモの水滴が偏向グラスや顔にかかります。ヒンヤリとします。
今シーズンのラストを華々しく飾れるような予感がするスタートでした。
が、しかし、ところが、残念ながら、例によって、いつものパターンながら、後が続きません。
暫くして、チャラ瀬の先行者が、ヘチのところで連荘です。しかも、サイズは結構な大きさです。「高水時は、川幅が広いチャラ瀬のヘチ」、そう、確かに名人の解説書で読んだことがある。流芯は、増水時にコケが洗い落とされてしまう。石にコケがつきはじめるのが、陽がよく届く浅瀬からだというわけである。試しに足元の石を足で撫でてみる。ウ~ン、確かに、ぬめりがあまり感じられない。
ということで、チャラ瀬の瀬肩に移動。今シーズン、自分ながらに成長したなと思う部分は、移動をするようになったことである。従来は、釣れても釣れなくても、同じポイントにジッとしていることが多かったように思います。
移動した先は、下の写真のチャラ瀬の先に薄っすらと波のない鏡のような水面が見えますが、そのポイトです。水位は膝ほどです。正午を過ぎたころであり、「昼トロ」といわれるポイントに近い状況です。野鮎が、ポニョッ、ポニョッと跳ねています。先行者は、昼食のため上がってしまい、独占状態です。
早速、新規一転、再スタートです。ここで掛からなくては、とい流れのヨレにオトリが入ります。気持ちよく、目印が走ります。魚信も竿に伝わってきます。やや小ぶりではありますが、オトリ頃です。オトリを交換して、出陣。チビ鮎のため、少しばかり下流に流されて流芯に向かおうとするところで、ゴッツ~ッと強いアタリ。これは大きいぞ。なかなか上がってきません。チャラ瀬でも、少しばかり流れも強いので、そのせいもあります。こちらに飛んできます。大きいぞ。キャッチもうまくいきました。
今度は、大き目の野鮎をオトリにてさらに出陣。チャラ瀬の瀬肩からやや中に入ります。オトリはグングンと中央に向かっていきます。ガッツ~ン、連荘です。最終日に相応しい状況になってきました。
さきほどより、竿が曲がります。オトリが水面から顔出し、野鮎はなかなか顔を出しません。岸側に誘導しながら、慎重に竿をあげていきます。ようやく出てきました。
空中輸送です。ソローモーションがかかったかのように2尾の鮎が飛んでくるのが確認できます。
と、。私の釣行記には「と、?」が多すぎるのですが、まさに、「と?」、上下2尾の鮎のうち、上の鮎が「ポトン」と落ちたのです。
身切れ?、ハリが外れた?
1尾をタモに入れてみると、タモに入ったのは野鮎です。きれいに背掛かりです。落ちたのは、オトリです。エッ~!?何だ? 上の鮎が落ちたのだと確認できたのは、その時です。
鮎の鼻が切れた?
違いました。鼻カンがありません。鼻菅の仕掛け糸が解けて、鼻菅ごとリリースされたわけです。瞬間接着剤のつけ方がまずかったようです。
てな具合で、15:00。携帯電話のタイマーが時間の終了を告げます。
釣果は、9尾。あの鼻カン付リリース鮎があれば、ちょうど10尾、「ツ抜け」で終了だったところですが、課題を残しつつ「9尾」にて今シーズンは幕です。課題はナントといっても、仕掛けづくりです。
2008年9月22日月曜日
板取川への釣行(下橋)
2008年9月20日土曜日
長良川への釣行(千疋大橋)
橋の下に入川しようとしたが、投網の人たちがいて、橋の上流のブロックの一間分手前を流して見ろと言われて上流に移動したと言うわけである。渇水気味にて確かに対岸のブロックの流芯まで入ることができた。
上流側と下流側に釣り人が入ってきたので、すこし下流に移動。ブロックの手前のたるみの部分にて群れ鮎がいるのだろうか、野鮎が跳ねている。そこにオトリを送り込んでやると、18センチほどの野鮎
が掛かってくる。しかしながら、オトリ鮎に鼻管をつける際にオトリを逃がしてしまったり、取り込みを失敗したりと、リズムに乗れない。本来であれば、ポンポンと調子よくいくべいきところ、まだまだ初心者である。
16:30に終了。それでも本日の釣果は、久々の「ツ抜け」、12尾です。
2008年9月14日日曜日
木曽川への釣行(愛岐大橋の下流)
愛岐大橋の下流の川原に行きます。初めての場所です。同好会メンバー3人が先行していました。流れも、ゆったり。得意の泳がせ釣法の川相です。
ここは木曽川の本流ではなく副流です。鹿子島という中州が本流と副流を分けています。副流は下の写真のようなゆったりした流れです。
11:30、スタート。同好会の長老は、はやくも3連荘です。当方は、5人のメンバーのうち、最上流に陣取りスタートしたのですが、まったく音信がありません。オトリは元気です。仕掛けもバッチリです。
暫くして、水中糸が0.25のナイロン糸の仕掛けに交換。それでもダメです。先行者がすでに釣ってしまったのか、それもと入川時に見かけた投網の舟が根こそぎ野鮎を獲ってしまったのか、と思いながら、次第に下流に移動していきます。
「もうすこし上の浅瀬で野鮎を掛けて下に降りてきたほうかいいヨ。浅瀬はオトリもよく泳ぐし。上流のあの柳の前あたり。」、一旦、昼食のため車に戻るTさんから声がかかる。Tさんは、師匠の兄である。
早速にご指示により、100メーターほど上の柳の前にて再スタート。あたりが来るような予感はしきりにするのですが、来ません。ヘソバリが外れているか、心配になります。オトリを引き寄せてみます。大丈夫です-----、そう、このパターンがオトリを弱らせます。
今度はジ~っと我慢します。ゴツゴツゴッ~ン、来ました。18センチほどのヒレが真っ黄色の野鮎です。
しかしながら、あとが続きません。
暫くして、他のメンバーもこの副流に見切りをつけ、本流に移動することになる。入川したのは、「すいとピア江南」(下の写真のタワー)のあたりです。
写真では分かりつらいのですが、さすがに本流の流れは男性的です。今度は、最下流に入ります。それでも流れが強く、オトリが入っていくか心配です。しかしながら、さすが、スーパーウェポン式の仕掛けです。オトリが野鮎に替わったこともあるのでしょが、順調です。
上の急瀬に入ったT兄弟は、順調に竿を曲げています。
こちらは急瀬の下にて流れは、瀬に比べれば格段にゆるいのですが、野鮎が掛かったときには、どう取り込むかなどと、さきのことが心配なほどです。心配をよそにあたりは来ません。
Tさんの背後の浅瀬に移動します。写真に勇姿でも収めることもできます。写真もタイミングがあいません。それでも浅瀬で15センチを掛け、本日の釣果は2尾。
15:30に終了、5人、一斉に引き上げです。来週に期待します。ことしの夏の私の友釣りは、来週あたりで終了となります。
上の写真のタワーは、愛知県側の江南市にある「すいとぴあ江南」です。愛岐大橋の下流・左岸側にあります。タワーの上部は展望台になっています。
夜、中秋の名月、地元の老人は「芋名月」といって里芋を煮て供えます。わが家も母親が育てた里芋をススキとともに供えました。ことしの里芋は、夏の雨が少なくまだまだ小ぶりです。これまた大きくはないのですが、今夜は、きれいな「おっ月さま」でありました。