2008年8月17日日曜日
長良川への釣行(千疋大橋)
鮎之瀬大橋は、大き目の石が浮いていて根掛かりばかりであるが、橋ひとつ下流というでけでこんなにも川底が違うものかと驚いた。
こうしたゆったりした川相は、野鮎の取り込みにトラブルことがなく、ありがたい。
下の写真の橋が、千疋大橋である。橋のすぐ上流には瀬があるが、その瀬の上流がゆったりしたトロ場になっている。
気温は35度であるが、適度な川風があり、すがすがしいほどである。水温は26.5度と高めであり、養殖オトリがバテ気味である。オトリ屋さんでの水温は恐らく20度ほどであろうから、6・7度の温度差は、オトリにとってはいきなり風呂に入れられているようなものであろう。
1尾目のオトリは、すぐにメザシほどの野鮎を掛けたものの、例によってすっかりバテてしまったほどである。
2尾目の養殖が出陣。泳がせ釣法です。オトリがグングンと上流へ上っていきます。
来るぞ、という予感とともに目印が対岸に向かって走ります。
ゆったりした流れの中で余裕を持って取り込み完了です。
19センチです。これをオトリにさらに出陣です。
それ以後は、ポツポツと野鮎が掛かるのですが、サイズは15・6センチほどです。
向こう岸では、野鮎が跳ねます。そのあたりにオトリを送ってやるのですが、音信はありません。
夕日が眩しく、やや下流に移動し山陰に入り続けますが、掛かりそうもありません。
思い切って、さらに下って橋のたもと近くの急瀬の瀬尻で竿を出してみますが、音信なし。
18:00のチャイムが鳴り響き、納竿です。
釣果は、6尾。
師匠の釣果は聞かなかったも、引き舟のなかの野鮎が激しく踊って、音を立てている。
本日、いい場所発見。本日をもって、夏休暇も終了です。
2008年8月12日火曜日
長良川への釣行(関市)
前回とまったく同じ場所しかあいておらず、橋桁の20メータほど下(しも)にてスタート。下手の赤い帽子の老人に釣果を聞くと、「ダメだなァ~」。
大きな浮石の下の流れの緩みのところに養殖オトリが入ります。じっと我慢。オトリが流れに向かっていくまで待ちます。しばらくして、オトリが流れに入っていきます。ゴトゴトっと、音信があり、目印が下流に向かいます。竿を倒し、さらに我慢。岸に寄せたあと、空中輸送です。うまくキャッチ。20センチの野鮎です。ここで本来なら、この野鮎にオトリになってもらい出陣させるところですが、前回のことを思い出しました。新しい野鮎がことごとく石の間に頭を突っ込んでしまい根掛かりになるパターンです。
第二の養殖オトリが出陣です。メザシサイズの野鮎を引っ掛けてきました。次に第三の養殖オトリが出陣。これも、例によって流れの緩いところで一旦体制を整え、流れに入れてやります。流芯に向かう途中でガツンときます。またまた、竿を岸側に倒し、我慢です。さきほどのものより、大きいようです。なかなか水面にオトリも野鮎も顔を出しません。竿を立てて我慢です。下がるにも、下の釣り人の邪魔になってしまいます。ここで頑張るしかありません。と、プツン。急に、竿が軽くなります。親子ドンブリです。
ここからが出入りの激しい釣りとなりました。根掛かりの連続です。17:00までに5組ほど用意した鼻管周りの仕掛けがすべてなくなりました。
午後、下手の赤い帽子の老人は、用事があるとのことにて揚がっていきました。そのあと、上手に若い釣り人が、下手にはご老人の釣り人が入ってきました。いずれも、入った当初は、パタパタと釣り上げます。ご老人は、岸近くから竿を出し、流れの手前で3連荘です。しかしながら、あとが続きません。私と同じパターンです。
ご老人曰く、「ここの石は浮いている。元気なオトリは、みんな石に顔を突っ込んでしまう。」やはりそうかと納得。若い釣り人は、「ああ、ようやく来た!」と声をあげます。下の方から移動してきたのであるが、引き舟の中のオトリは、元気がなさそうであり、オトリ選びに苦労しているようであった。
気温36度、水温26度。当方のオトリもいずれも元気がありません。だれも同じ状況のようです。
本日の釣果は、3尾です。出入りの多い日でした。
2008年8月11日月曜日
吉田川への釣行
気温35度、水温23度。水温はやや低めであった。先行者は4・5人であったが、昼食中であったが、私の入川と同時に彼らも釣りを再開。50歳前後の人が老人たちにいろいろ指導しているようだった。
私は、瀬から入ったが、すぐにオトリがバテてしまいます。瀬肩に移動し、二番手の養殖オトリに出陣をしてもらいます。オトリが石が顔を出している裏の波がよれたところに入ると、目印が下流に走ります。重い。瀬に入ったため、こちらは流れで重いのだろうと思っている。竿を倒すというテクニックは、先日、教わったところです。早速、竿を岸側に倒し、誘導します。瀬の流れの緩んだところに鮎が入ります。
ここで、取り込みです。今度は、竿を立てて引き上げます。水面からオトリ鮎が揚がって来ません。ようやく、オトリが顔を出します。竿はシマノの鮎リミテッドプロ9.5メートルです。同好会で譲り受けたものですが、胴調子なので弧を描いています。糸がもつだろうかと不安になります。
背中にあのご老人たちの視線を感じます。タモを構えます。エ~イっ、と、竿を立て背伸びをします。揚がって来ました。逆光ということもあって大きな黒い魚がスローモーションのように飛んできます。うまいぐあいにタモにも収まりました。手が震えます。
早速に、写真です。あまりの感動で、ピントがあっていません。帰宅後にサイズを測ったところ、23センチでした。とてもオトリにはなりません。大きすぎます。3尾目の養殖オトリに出陣をしてもらいます。まもなく、17センチほどのちょうどオトリ頃のサイズが掛かってくれました。
何年か前に富山県の小矢部川に師匠、兄弟子の3人で行ったことを思い出します。あの川の鮎も超ビックでした。4・5尾も釣れば、引き舟が窮屈なほどでした。
そう、きょうもあのパターンかと、イメージが突っ走ります。
ところが、そのあと、まったく音信なし。17時にタイムオーバー。釣果は、下の写真のとおり。上から2・4番目の2尾が野鮎にて、そのほかは養殖モノです。
2008年8月10日日曜日
板取川への釣行(再び)
当然のことですが、音信なし。そのはずです。あの人が7連荘して、引き揚げたばかりなのですから。
オクラの花
この花も、刻んでかき混ぜると粘りがでます。もつろん、食べられます。
下の写真は、母親が、ことし初めて作った白茄子です。とても美味しいのだそうですが、まだ食卓には上っておりません。
2008年8月9日土曜日
板取川への釣行(美濃)
板取川の「面平(おもひら)」あたりまで見て回ったが、どこも釣れている様子がない。
結局、13:30に「下橋」の下流側に入川。下の写真に見えるのが、下橋。この背後には、和紙会館がある。
気温36度、水温26度。
下の写真は、釣っているところから、下流側を撮ったもの。以前、このあたりには、大きな岩が横たわっていたが、いまは見当たらない。小石で埋まってしまったようである。
渇水なので下流に行っても仕方ないと思い、橋の下でオトリを購入して50メーターほど下ったところでスタート。正直、釣れるような気はしなかった。
オトリを放すと、よく泳ぎ流芯に向かって行きます。トロ場は、安心です。
そこで、ナント、目印は走ります。エッ、こんな浅いところで?
オトリ頃のサイズです。この野鮎をオトリにすると、さきほどの養殖オトリより元気に流芯に向かい上流に上っていきます。黄色い沈み石のところで、目印が飛びます。サイズ・アップです。
さらに新人野鮎に選手交替です。今度は流芯に向かわず、そのまま上って行きます。5メートルも上ったところで、またまた、目印が走るのです。今日は、どうなっているのでしょう。こんな調子で、5連荘です。下の写真が、取り込んだ鮎の中で大きかった鮎です。20センチでした。
調子がいい時は、上流からの親子ドンブリも掛かります。これを釣り上げたときは、驚きました。3尾が飛んでくるのです。エ~ッ!?、と、途中で1尾が外れ、逃してしまいました。ドンブリの仕掛けと自分の仕掛けが絡まってたいへんです。
鮎があちこちでピョン、ピョン、跳ねています。15時30分頃になると、北の山の方でゴロゴロと雷が鳴り始めます。入道雲がそそり立っています。それでも、そのうちに鳴り止み、一安心。
18:00に納竿。本日の釣果、13尾。
これまでの絶不調を挽回する夏休暇の第一日目と言いたいところなれど、ほかのホームページを観ると、30尾の釣果が紹介されている。残念!
2008年8月3日日曜日
さぎ草
さぎ草には、思い出がある。
昭和54年頃であったと思う。社会人になって3年目のこと、友人たちと3人で東京は世田谷区の自由が丘に住み始めた。自由が丘駅の田園都市線(現在は大井町線)での隣の駅に九品仏(くほんぶつ)という駅があって、そこに「九品仏浄真寺」(奥沢)というお寺がある。そのお寺の隣に上司のお宅があった。ある日、それぞれに彼女を連れて遊びにいらっしゃいというお誘いを受けて、6人で遊びに伺った。その時、九品仏を案内され、境内の鬱蒼とした木々のもとに点在して咲いていたのが、さぎ草であった。30年ほど前のことである。この境内のさぎ草は、持ち帰って植えても根付かないということと、あわせて悲劇のお姫さまの話を教えてもらった。
時代は、確か室町時代。登場人物は、世田谷城主の吉良さまと奥沢城主が娘の常盤姫である。吉良の殿さまは忠臣蔵の吉良上野介とルーツは同じであり、常盤姫は常盤御前ではないということで、ふたりの名前はよく覚えている。吉良さまは、何でも十数人の側室があるにもかかわらず、常盤姫の美しさに一目惚れ。奥沢城主は、吉良さまの家来にあたり、姫を側室に差し出すしかなかったらしい。常盤姫は、吉良さまにことのほか寵愛され、身籠る。しかし、例によって他の側室たちの妬みをかうこととなり、不義をはたらいたとの噂をたてられる。吉良さまは、常盤姫が身籠った子どもが本当に自分の子であるかを疑うようになる。常盤姫は悲しみ、奥沢城時代から可愛がっていた鷺の足に自らの潔白をしたためた手紙をつけて奥沢城に向けて放つ。この鷺は、たまたま狩りをしていた吉良さまに射落とされる。鷺の足にとりつけてあった常盤姫の手紙を読んだ吉良さまは、常盤姫の身の潔白を確信し、急ぎ城に戻るも、すでに常盤姫は自ら命を絶ってしまっていた。鷺が射落とされた場所には、いつからか鷺草が咲くようになった、というお話である。
2008年8月2日土曜日
長良川への釣行(岐関大橋)
10時、長良川の岐関大橋の下流に入川。本日は、所用にて14:00までの釣りである。気温は、すでに31度、水温は26度である。同好会の長老と師匠が先に入川しており、釣果はいまいちの様子。どうも、鮎がかなり小ぶりとのこと。
岐関大橋は、岐阜市と関市を結ぶ橋であり、下の写真の上流に見えるのがそれである。わが家からは、20分ほどであろうか。同好会の鮎釣り大会は、最近、ここで開催されている。
長老から、上から順にブロック手前を探りながら下がってきた方がよいとのアドバイスを受け、早速に下の写真の木が繁っている手前のちょっとした瀬のあたりからスタート。
暫くして、瀬の流芯の手前あたりで目印がゆっくり流されていきます。そんなに瀬の流れがキツイわけでもないのにと思って竿をあげてみる。なるほど、メザシのごとき鮎が掛かっている。確かに小ぶりだ。メザシではオトリにならないので、再度、養殖オトリに出陣してもらうことにします。
どうも、うまくありません。別の養殖オトリに選手交代。今度は、流芯に向かって行ってくれます。暫くして、ガ~ンというほどではないものの、強いあたり。手前の岸に慎重に引き寄せます。20センチです。下の写真の野鮎がかかりました。下の写真の鮎の反対側の目は真っ赤で飛び出し気味です。目にハリがかかたようです。
その後、昼までに18センチとメザシ級1尾を追加。
昼過ぎになって、下流の広い瀬まで下り、瀬尻にて竿を出します。まったく、音信がありません。
長老と師匠は、それなりの釣果があったようですが、小ぶりが多いということから、上流に車で移動。当方は、残り時間も少ないことから、同じところにとどまることに。
それから1時間。ガマンしたものの、追加なく、タイムオーバー。
この間、下の瀬、対岸の川原の階段から7ブロック下がったあたりでつり始めた人がいる。コンスタントに竿が曲がります。野鮎のサイズは、20センチはないようですが、やはり流芯で掛かります。同好会の鮎釣り大会ではそこに入ろうと決め、川原にあがります。
暑ツ~い!! 汗が噴き出してきます。
5人ほどの若者が、バーベキューをしています。テントも張らず、元気です。
本日の釣果、20センチ・18センチ各1尾、メザシ級2尾、計4尾。