2009年10月14日水曜日
2009年9月20日日曜日
信州へのドライブ
6:45、自宅を出発。素晴らしい、まさに行楽日和です。
信州にドライブに行くことは、すでに決まっていたことのようで、4人で出発。川も渇水で釣りはできそうにないので、気持ちよく車1台でスタート。
女性3人に男性は自分ひとりです。素晴らしいとお思いかも知れませんが、車中の年齢トータルは、254歳です。
東小牧から中央自動車道に乗り、まず目指すは諏訪大社。例によって、高速道路料金は1000円です。民主党政権で無料になるというけど、気軽にドライブがたのしめるというのは、なんだかリッチな気分です。高速道路の無料化により、渋滞、CO2の問題が指摘されていますが、戦後みんなが一生懸命に働いて立派な国になったのですから、道路料金を気にせず、ちょっと遠出をして本場の信州そばを食べに行こうというゆとりがあってもいいようにも思ったりもするのですが。地方の高速道路沿いに企業や研究所を誘致したり、そうした企業や研究所がCO2問題を解決する技術を開発したり、ってな具合には、なかなか行かないかもしれませんけれども、高速道路の無料化というのは何だか、近くに大きな本屋さんが開店したような、そんなリッチさがあるように思うのです。
諏訪までは、案外と近く、9:45に到着。自宅からちょうど3時間です。
諏訪大社に参拝し、あとはビーナスラインに入っていきます。ちょうど昼時に混んでいる蕎麦屋さんがあったので入ることにしました。十割蕎麦ののぼりがあり、店名は「長寿更科」(茅野市米沢)です。入って知ったのですが有名な店だそうで、確かに腰のある美味しいお蕎麦でした。敬老の日を控え、いいお店に入ることができました。でも、ここの駐車場ででかい看板の鉄柱に車の後ろをぶつけてしまい、ガックリです。
このあと、ちょっと、ビーナスラインを外れ、奥蓼科に立ち寄り、再びビーナスラインに戻り、蓼科温泉、白樺湖、車山高原、霧が峰、美ヶ原と回り、帰路は松本経由にて長野道、中央道、名神高速道路、東海北陸道と入って21:30に帰宅。やはり、途中、35キロの渋滞にはまってしまいました。上の写真は、車山高原を背に白樺湖を望む景色は雄大でした。
下の写真は美ヶ原で撮った「マツムシソウ」、さらにその下が「ハクサンフウロ」である。
それぞれの花は、もうシーズンが終わっていたものの、紫、ピンクの色は、実際の花は写真より鮮やかでした。杖が頼りのお年寄りが、車で2000メートルの高山までドライブできるのです。
「美しい国日本」と言ったのは、安倍さんです。さらに遡って、川端康成はノーベル文学賞の受賞式で「美しい日本の私」と題してスピーチしました。このスピーチ、試験問題によく出題されてましたっけ。
そんな美しい日本を無料高速道路でたのしむ。難しい問題が山積でしょうが、思い立って気軽に本場をたのしむことができるゆとり。毎日が無料となれば、いずれ渋滞も分散、解消していきますよ。
2009年9月19日土曜日
長良川(松ヶ瀬)への釣行
シルバーウィーク5連休の初日。この連休で今シーズンの鮎釣りは、終了としようと思っています。
本日は、気になっていた関市内の長良川、松ヶ瀬に8:30に到着。松ヶ瀬の右岸は、車が10台ほどしかとめられないので急いだ。昨日までの釣果も、かなりよく勇んで到着。
水がない。渇水です。対岸に容易に渡れるほどです、驚き。2週間ぶりの帰郷であったのですが、どうもこの間、雨が降っていないらしい。旧盆の夏休みは雨が続き、今度は渇水。今シーズンは、タイミングが合いません。
10時あたりには、解禁日のような賑わいになりましたが、どの人もパッとしないようです。それでも下の瀬のほうでは、ある程度の釣果はあったようですが、どうもいけません。
まわりの人の話では、鮎がよく見えるというのです。確かに、前回、ここにきたときも足元に鮎が結構いたものです。その時のイメージと最近の鮎之瀬大橋の下流の好調が伝えられていただけに、松ヶ瀬ではなかったの?と疑いたくなるほど。
本当に鮎之瀬大橋のすぐ下のことなのかもしれない。確かに釣り人も多そうだ。
オトリが弱って根掛かりが頻発、仕掛けも2つダメにしてしまうありまさまです。
14:30、3尾にてタイムアウトです。
途中、同好会のメンバーが様子を見に来てくれていましたが、まるで静止画を見ているようであったに違いありません。
2009年8月30日日曜日
同好会の鮎釣り大会
また、本日は毎年恒例の釣り同好会の鮎釣大会の日でもある。昨夜、期日前投票に出かけた。期日前投票所の入り口には、入室待ちの列があり、関心の高さにあらためて驚いた。
釣り大会の場所は、岐阜市内の長良川中央管内の岐関大橋の下流である。昨日の松ヶ瀬からさらに下流であり、長良川下流管内との境に近いところである。
集まったメンバーは、14名。8時スタートにて11:30までの釣果を競う。水温21度。
スタートに先立ち、クジにより順番を決める。4尾のオトリの配給を受け、順次、好きな場所を選んでいく。今回、クジは14番中の13番。オトリの配給を受けたときには、入る場所はほとんどなく、岐関大橋の下流150メーターほどの右岸に入った。ちょっとした瀬尻の部分である。オトリは流芯に向かって進んでいくのであるが、魚信はない。自分の下に入っていたTさんが3連荘である。野鮎は小さいようであるが、流芯の手前で掛かっている。
元気なオトリに交代してもらい、自分も流芯の手前を探ってみる。オトリを泳がせにしたり引きしたりと試してみる。すると、こちらも3連荘となる。4尾目の鮎は、タモの手前でバレてしまう。この逃した1尾は、大きく影響しそうな予感しきり。
さらに指ほどの鮎が掛かる。この子鮎、案外にビリビリときから驚きである。あとの鮎は、サイズがまちまちである。結構なサイズも掛かったが、まだ増水の影響が残っていたのか、痩せた野鮎であった。
11:30、いよいよ検量である。釣果9尾。9尾がふたりあって、年齢が上により当方が4位となった。昨年が3位であったら、例の取りこぼしの鮎が、やはり3位入賞を取り逃がした結果となった。
表彰式に引き続き、バーベキューが始まる。メンバーに焼肉レストラン経営者がいて、差し入れの肉が実にうまい。
昼食後、ふたたび川に入る。水温は23度。
今度は、下流のザラ瀬尻に入った。オトリは流芯に入っているのだが、なかなか掛からない。15時あたりから、ポツポツと掛かり始めたものの、17:00の納竿時には5尾となった。結果、本日は14尾の釣果。
2009年8月29日土曜日
長良川(松ヶ瀬)への釣行
釣行先は、関市内の長良川は新鮎之瀬大橋の下流の「松ヶ瀬」である。ことし、長良川中央管内の調子は上向かないというなかで当初より比較的良好といわれる場所であり。
上の社員は、入川ポイントから見た下流である。下の写真の上流部分に見える橋が新鮎之瀬大橋であるが、この橋の上下流では鮎釣りをしたことがある。根掛かりが多い場所というのが、第一印象である。そこの部分から200メートルほど下流からが、友釣り専用区「松ヶ瀬」である。松ヶ瀬の右岸の調子がいいとの話をオトリ屋さんから聞いて、入川。入川場所は、藪の中である。
入川ポイントの対面の川原は、夏休みには家族連れの水泳ポイントにもなっている。
入川した右岸には8人ほどの釣り人がいた。対岸も同様の状況であった。
足回りを見ると、鮎のハミ跡があります。石も滑っています。ゆったりした流れにオトリを放ちます。
足元近くに鮎が石を食んでいます。
こんなに鮎を間近に見たことがありません。川中やヘチでは、鮎がピョンピョンと跳ねています。
川中に向かって竿を出したり、足元にオトリを送り込んだり、さらには間逆のヘチに向けてオトリを送り込んだりしてみます。
足元近くの野鮎は、2・3尾。大きさは、大・中・小という感じです。深みからの駆け上がりの石をジグザグに食んでいます。そこに中サイズの鮎が入ってくると、大の野鮎が蹴散らしています。小の鮎は一緒に泳いでるといった状況です。そこに、オトリ鮎を送り込んで見ます。動きが鈍く、川底で休んでしまいます。大の野鮎は、やってきません。オトリ鮎は、やがて思い立ったように上流への動きます。と、大の野鮎がやってきます。やってはくるのですが、様子を見に来たという感じで、野鮎を追い出そうという感じではありません。絡んで輪こないのです。といううちに、オトリ鮎の方が、これはこれは失礼しましたとばかりに上流に上ってしまいます。これではダメと、再びオトリ炉鮎を川下からそのポイントに送り込んでやるのですが、結果は同じです。
見えている鮎は釣れないと聞きますが、ほんとうのようです。しかし、気になり、もう一度、オトリを送り込みます、やはり、ダメです。
足元では釣れなかったものの、それでも飽きない程度に釣れます。というより、野鮎が視界に入ってきますので、飽きることはありません。ヘチでも野鮎は、目印をビューンッと、飛ばします。黄色い追星もくっきりしています。
釣りあがってみると、4時間ほどで6尾。思ったより釣れていなかったという結果。
右岸の難点は、逆光で目印が見辛いこと。
それにしても、久々にたのしい釣りができ、今シーズン中にまたまたチャレンジしたいポイント。
明日は、いよいよ同好会の鮎釣り大会である。
2009年8月23日日曜日
「終の住処」、「鶴屋南北の恋」を読んで
磯﨑憲一郎著「終の住処」(新潮社)と領家髙子著「鶴屋南北の恋」(光文社)を読んだ。
前者は、ことし上期の芥川受賞作である。作者は、大手商社の人事部次長、現役サラリーマンである。
読んみて、こういう形式の大人の小説もあるのかというのが第一印象である。原稿用紙ビッシリと説明のような、あらすじのような形式。文学のはやり病にかかった青少年が、初めて小説を書き下ろしてみるときに書くようなスタイル。ちょっと、息が詰まる。正直なところ、芥川賞作品でなければ、書店でチラリと扉を開けてすぐに戻してしまうような印象である。
主人公は製薬会社勤めのサラリーマンの「彼」である。彼は一旦は離婚を決意するも子供が生まれるといことで離婚を見送る。やがて、娘を通じて妻と用件を伝えるのみのスレ違いの夫婦生活が11年間続く。この間、彼は転々と不倫を続ける一方、妻の浮気も疑う。ある日、突然に、彼が「家を建てるぞ」と宣言し、妻が「そろそろそういう時期ね」と11年間が何でもなかったように受け応え、他愛もなく関係修復となる。終の住処を建て始めると、彼はM&A事業でアメリカに転勤となる。家を建てると転勤辞令というのは、実際によくある話である。ともあれ、M&Aビジネスはなかなか進ます帰国できない。それでもようやくビジネスが成功して帰国すると、いるはずの娘がいない。妻曰く、娘はアメリカに行ったという。エッ!彼は妻と20年間連れ添ってきた夫婦であること、この家はふたりの終の住処であることを認識するというストーリーである。
この間、要所要所にいつも満月が見えている。
月は、常に地球に対して同じ顔を見せているもの。しかも、常に満月。11年間の夫婦の空白期間も、アメリカでの転勤生活も、さらにはこれからの夫婦の終の住処での生活も、時間は流れているのであるが、夫婦であることの事実において時間の経過はないと認識しろとでも言うことだろうか。
だから、11年間の会話なしの夫婦が、「家を建てるぞ」という彼の突然の宣言に対して、妻は「そろそろそういう時期ね」と応えることに不自然さがない。他愛のないことことで関係が修復したりする。
しかしながら、そこには、疲れたような、あきらめたような似たもの同士の夫婦の顔があって、幕となる。余韻のあるストーリーとなっている。
一方の「鶴屋南北の恋」、これも「終の住処」と同じ時期に発刊となった。このテーマも、どちらかと言えば終の住処の話である。こちらは住処を「栖」とあらわす。
鶴屋南北は、江戸時代の歌舞伎・狂言作者。南北は、1755年生まれ、1829年没というから、当時としては大往生である。その南北が没する4年ほど前からのお話であり。時代はシーボルトが長崎にやってきた頃であり、南北自身にとっては代表作のひとつ、「東海道四谷怪談」が中村座で初演され大当たりした頃から話は始まります。
この小説、読み急がず、ゆっくり読みたいという雰囲気と、読了後はいつか読み直してみたいと思わせるシロモノ。
主な登場人物は、辰巳深川芸者であった鶴次、十郎こと直江重兵衛、鶴屋南北の3人。鶴次は十郎の情人(イロ)であるが、その十郎が鶴次を鶴屋南北の愛人として紹介する。南北は十郎の実父であり、時に南北は70歳過ぎ。鶴次は、十郎の素性を知らない。十郎と南北との関係も知らない。鶴次は、南北のヒトとしての大きさに惚れ込み、南北の末期を看取っていく。
そんなふたりの別宅は、深川黒船稲荷境内の南北の隠居所の隣。その隠居所と別宅との間には戸板返しの歌舞伎仕掛けの趣向が設えてあり、浮世と隔離してある。戸板返しを隔てたふたりの別宅が、「終の栖(すみか)」となっているわけである。
終の栖でのことは、命の遊びであると南北は言う。南北は鶴次に自分の最後を看取ってほしいと願う。その鶴次は、南北の死んだ妻に似ているという設定である。何故、十郎は自分の愛人である鶴次を父親の愛人として差し出したのか、そうしたことの葛藤のなかで、心臓を患っていた十郎こと重兵衛は50歳にして看取られることなく死んでいく。
読み返すたびに新たな発見がありそうな、ほんとに面白い本であると思う。
2009年8月14日金曜日
冷凍庫の在庫整理
お盆に入ってからは天気も夏らしくなったものの、川は依然として増水している。
きょうは、冷凍庫の魚の一斉蔵出しをすることにした。ヤマメは、塩と香辛料で漬けたものがあり、昨日からこれを乾燥させている。まずは、七輪を980円にて購入し、七輪の周りに串刺しを立てられるようにドリルで穴を開けた。早速、冷凍庫に保管してあった鮎を素焼きにしていきます。この素焼きは、甘露煮にします。先日の久々野の益田川で釣った鮎は、下の写真のように塩焼きに。
これを南天の葉とともに皿に盛り付けます。料亭並みの塩焼きになります。
七輪の炭が残っていますので、この七輪の上に燻製器を載せてヤマメの燻製をつくります。いつもは、カセットボンベで燻製づくりをしているのですが、炭の火力には驚きました。
1時間もしないうちにご覧のような「さくら」のチップを使った燻製ができあがりました。これまでで一番の出来です。燻製も炭にかぎる。
冷たいビールに最高です。甥、姪たちにも大好評でした。
2009年8月12日水曜日
益田川上流(飛騨久々野)への釣行
「アチャ~っ!」
自宅から益田川上流の久々野まで2時間。同地には7時30分に到着。日釣り券は、2000円。飛騨は高山よりちょっと南にあたる。岐阜県下、いずれも川も調子が悪いなかこの地区が平年並みにて、相対的に好調ということで、師匠に無理を言って連れてきてもらった経緯あり。
肝心要の竿を忘れてしまった。幸いにも、師匠が予備の竿を持参していて借りることができた。ダイワの「競技」9.5メーターである。
滋賀県から遠征してきた釣り人曰く、「この益田川上流域の漁協は、今シーズンの小ぶりの稚魚放流であったため、同じ放流トン数であっても放流数が多い。このため、小さいながら、数が出る。50尾を釣ることもある。」
自ずと、期待が膨らむ。入川地点は、小屋名橋と柳島橋の中間あたりの左岸に「大のや醸造」があり、そのやや上流地点である。
下の写真は、入川地点から上流を眺めたところ。水深は、膝あたりで、深いポイントは腰あたりである。水温は19℃。
また、次の写真は入川ポイントから下流である。下流の遠方の右岸に見えるのが、採石場である。
当初、入川ポイントの下流側で野鮎を放すも、魚信なし。
さらに、下流に移動し、醸造工場の手前にあるビニールハウス前にて構える。やや大きめの石がある周辺を探る。暫くして、目印が上流に走る。やってきました久々のこの感触。サイズは小さいと聞いていたので、一気に引き抜こうとします。しかし、オトリ鮎の顔すら上がってきません。エーッ!?何だナンダ。ちょっと慌てます。今度は、下に走ります。重くなってきました。溜めて溜めて、竿をもった両手を徐々に挙げていきます。万歳の状態になって、ようやくオトリ鮎が顔を出します。やがって、ずっしりと重い野鮎が現れます。デカイ!小さいとばかりに思っていただけに驚きです。
今度は、その野鮎をオトリにして放してやります。石の下に向かって行きます。川の流れの中央あたりです。
ナント、オトリ鮎が飛び跳ねたかと思うと、掛かった別の野鮎(?)がバッシャーッと飛び跳ねた。金色に輝くような魚体に思えた。一瞬、何が起こったのかよく分からない。ヤマメでも掛けてしまったのだろうかとも思った。それにしても、あの金色の魚体はなんだろうか。
オイオイ、小さかなんザァないぞ!と思いつつ、オトリを引き寄せヘソバリを付け直して放つ。今度は、まっすぐ石の下に入ります。さきほどの掛けたポイントのやや下です。
今度は、やや小ぶりというか、オトリ最適サイズです。
というような具合で飽きない程度に、ポツポツと掛かってくれます。
昼食をとって今度は、入川ポイントの上流に移動します。ここでは16時までに3尾ほど追加できたのみです。考えみれば、午前中、師匠殿が散々に釣り上げとポイントでした。
16:30納竿。釣果は、12尾。午前中の下流でのドンブリなどもあったものの、大いにたのしめた遠征となった。ちなみに、師匠は28尾、ご立派。
2009年8月11日火曜日
鮎釣り仕掛けつくり
心配された台風9号は、幸いに東海地方にはほとんど影響がなかった。しかしながら、長良川の水位は依然として高く、かつ笹濁り状態のため釣行はあきらめ、家族とともに美濃と郡上の中間地点にある「子宝の湯」に出かけた。この子宝の湯は、長良川鉄道のホームとドッキングしているうえに、川の駅とも隣接している。川の駅は、ラフティングのスタート地点である。
夕方からは、セッセと鮎の仕掛けつくりに精を出す。
下の写真が、仕掛けの全体写真である。この仕掛は、このところ4・5年はこれを使用しているが、実績はイマイチ。この仕掛の特徴は、鼻カンが遊動式であるので、糸を引いた際に鼻には力が伝わらず、背中に力が伝わる点であると考えている。
仕掛糸は、SUNLIZE「仕掛糸スペシャル」(フロロカーボン)0.8号である。
右から、遊動式の鼻カン、次が遊動式の背バリである。左端が、ヘソバリである。
まずは、鼻カン。糸は、FUJINO「チラシパワーX]1.0号。この糸はよってあるので、遊動部分のビーズを結ぶのに都合がよい。ボーズは、極小を使用。ビーズと鼻カンの間の糸の長さは、1センチ。この長さは、1.5センチがよいのではとも考えている。
仕掛けつくりには、写真下のようなバイスが便利である。バイスは、フライフィシングの毛鉤つくりの必需品である。
次に、ヘソバリ部分。 ここでは、仕掛イトの先端をライターで燃やし先端に紅葉花火のような玉を作り、ヘソバリに仕掛糸を固定する際にすっぽ抜けないように注意しています。
最後に背バリです。ここも、遊動式なのですが、ここを遊動式にしているのは、オトリ鮎のサイズを調整するためです。ハリにチュウブ管を背負わせ、チュウブ管には仕掛イトを通しておきます。ここでちょっと厄介なのが、イトの縛りの強度です。キツ過ぎると、遊動に支障をきたします。イトでハリとチュウブ管を固定したあと、瞬間接着剤をたらすので、この接着剤でチュウブ管が縮むので、その加減が難しい点です。
結構、気に入っている仕掛ではあるものの、現場では、仕掛のモツレが多いのが困りものです。
2009年8月9日日曜日
板取川への釣行
8月8日から16日まで夏休暇。7日夜に飲み会があり、帰郷が0時過ぎとなり、8日は出鼻をくじかれた。昼近くになり、関市内の長良川の様子を見てみたが、7日の雨で増水。誰も竿を出していない。そこで、板取川に向かった。ここは、あまり雨の影響がないものの、それでもいつもより30センチほど水位が高いものの、それなりに釣り人が入っている。「面平(おもひら)」を見ると、左岸は3人。右岸に5人が入っている。長雨が続いてコケが流され、ようやく平水に戻り、いよいよというときに7日の雨。まだ、コケもつかないままといったところか、竿を仕舞う釣り人もあるといった状況。
入川は止めた。帰路、車窓から、竿が曲がるのが目に入った。右岸の屁地である。
それが、本日、入川したポイントが、下の写真のまさにそのポイント。11:00に入川。所用があり、14:30までに帰宅する必要があります。短時間の勝負です。短時間ながらも、やってきたのは、長良川本流が依然として水位が高いこと。昨日の竿の残像に引きつられてためである。 水温18℃、水位はまだ20センチほど高い。石には、ヌルッとした感触はなく、やはりまだ早いといった感じ。
オトリを放して間もなく、ゴトゴトッという感触とともに目印が走ります。
やはり、正解と、期待したものの、例によってバラシです。
それから1時間、魚信もなく、川下に少しずつ釣り下がっていきます。それでも、駄目です。あきらめて、そろそろ、帰ろうかというときに、目印が下がっていきます。針が水中イトに引っかかったのかと思いきや、ナント、下の写真のようなチビ鮎でした。
残念!時間切れです。
2009年7月21日火曜日
衆議院解散
本日、7月21日、衆議院が解散した。
麻生総理の唯一の信念ともいえる自らの解散が実現したことになる。自民党の自爆解散との見方もある。確かに、自民党内のゴタゴタは組織の末期症状のようでもあった。しかしながら、反麻生派の中川秀直元幹事長も、自民党両議院議員懇談会において麻生総裁が自らの統率力のなさが地方選挙に影響を与えたことを認め、力不足を詫びたことを評価し、麻生総裁に握手を求めた。
残すところ、投票まで40日。民主党が圧倒的に有利といわれる今回の選挙。ヒトのうわさも47日とか、案外、自民党は巻き返すかもしれないと思ったりうもする。もちろんのこと、自公での過半数獲得は無理であろうが、自公と民主党をはじめとする野党は均衡する状況となるかもしれない。40日もあれば、国民は、民主党のマニフェストの張りボテさと自民党の3弾ロケット方式のバラ撒き予算も冷静に判断できるに違いない。
ここで要注意は、マスコミである。マスコミ自身の冷静な対応と、マスコミ報道を割り引いて捉えるわれわれ自身の冷静さも求められるところである。
先週、半藤一利 「幕末史」(新潮社)を読んだ。これは、半藤氏が、昨年、いわば市民公開講座で講演をした内容を筆記・調整したものである。同氏の同様の歴史解説に「昭和史」(平凡社)がある。現在、同書は文庫本でも出ている。何年か前に単行本で同書が刊行された折に読んだことがある。歴史解説は、語りべ調のモノの方が読みやすい。今回の「幕末史」も同様に分かりやすい。
同書は、ペリー艦隊の来航から明治11年頃まで25年間ほどの話である。現在、一般的に理解されている歴史観とはちょっと異なり、反薩長歴史観が語られている。そのことは、同書の冒頭でも触れられていることであるが、「一方を聞いて沙汰をするな」ではないが、面白い。要は、明治維新は維新ではなく、薩長による革命だという視点である。薩長のいわゆる官軍の御旗、幕府討伐の勅旨も岩倉具視と薩長による偽物であって、当初、薩長には天皇制のような国家観などもなかったというのである。つまり、幕末は国家の将来のビジョンなき政局レベルでの革命の歴史であったというわけである。
鎖国政策をとっていた幕府は、中国のアヘン戦争、アメリカの南北戦争などの海外の情報をいろいろと入手していて、ある意味では適切な判断をしていた事実があること。
他方、歴史には「意志」があり、要所要所に面白仕掛けをしていること。
「邂逅」という、川端康成が好んだ言葉がある。モノゴトはあとから後から考えてみるとなるようになっているというモノであるが、歴史もあとから振り返るとなるようにしてなっているわけであるが、その局面、局面では、面白い人員配置、人の巡り合わせを用意しているといことであろう。
今度の選挙は、歴史的な選挙にあることは確かであろう。政界再編が起こり、場合によっては来年の参議院選挙には衆参同時選挙なんてこともありとの見方さえある。
いずれにしても、将来、歴史の悪戯という転換点がこの選挙であったなどといわれることのないよう、われわれは国政の視点に立って、より広い視野をもった信念のある人を国政に送り出さなければならないのでは。少なくとも、政局のための選挙であっては、いけない気がする。そういう意味では、国民の良識が問われる選挙でもあるのかもしれない。
国政に送らなければならない人物の本人の選挙公約に、県会議員・町会議員レベルの選挙公約を掲げなければならないような小選挙区制度も、これまた、いと可笑し。
2009年7月18日土曜日
板取川への釣行
川釣りは、天候の上に雨量の影響が何日が続き、釣行できる日が限定される。
そのうえ、釣り人としては、いづれの日でも釣りができるわけではない。水量が適量でかつ川の水に濁りがないの週末となると、なかなか予定通りにはいかない。
今日18日、長良川本流は雨の影響で水量が多く、竿を出せる状況にはなかったが、支流の板取川では水量は高めであったが、濁りもなくチラホラと竿を出している釣り人があった。自分もその中のひとりであり、下橋の下流に入った。
上の写真のように水量が高めであったため、対岸の脇の流れに入った。ここは、脇の流れとはいえ、したの写真のように川幅はある。
上流に見えるのが下橋(しもばし)であるが、本流にくらべればかなりゆったりした流れである。
水中にに目をやれば、石に野鮎がついているのが見える。しかしながら、おとなしそうな鮎でオトリを追う気配はない。水温が低いこともあるのだろうか。
足場がしっかりしていることもあり、このポイントにてオトリ鮎を放つ。写真では流れがないように見受けられるが、結構な流れである。オトリ鮎が流れに沿って下っていく。瀬に差し掛かったあたりでググーッと手ごたえあり。これは、幸先のよいスタートです。17・8センチの野鮎です。しかもしっかり、背掛かりです。
写真に収めておくべきでした。自分では、このはじめの1尾にて本日の大量の釣果をタモに入れてピチピチしているようすを撮影するイメージが膨らんでいましたから、この1尾、写真には収めなかったというわけです。足もとの石にも鮎がやってきているのです。もう釣果の独り占めを確信していましたから。
その後も、釣れはするのです。でも、根掛かりもします。流れが強いため、根掛かりを外すこともできず、オトリ鮎と仕掛けを失くしていく始末です。出入りが激しく、結果は+1尾です。
途中、霧も立ち込めてきました。流れのゆったりしたポイントに移動うします。
2009年7月11日土曜日
畑の様子
ことしは、すかいの調子がすこぶるよく、母親がその成功の要因として堆肥を施したこと、梅雨の前に実をつけたことをあげる。確かに、まわりの話を聞いても、わが家のすいかの調子はダントツのようだ。
一方、調子が悪かったのは、たまねぎのようである。ことしは、どこも調子はよくなかったようである。当初の生育段階では、今年は調子がいいと言っていたことを思うと、やはり野菜を育てるというのは容易なことではなさそうである。
植えの写真の右側はキウリ、左側はゴウヤである。キウリはもう盛りが過ぎて、あたらしい苗を追加している。ゴウヤは、生育は遅いが、遅くまで実がつく。
さらに、上の写真は、例によってオクラである。オクラがこういうものだということを知ったのは、はずかしながら、そんな昔のことではない。初めて知ったのは、おそらく5・6年前だと思う。そのときは、えらく感動したことを覚えている。
2009年6月29日月曜日
「りんごが教えてくれたこと」を読んで
木村秋則著「りんごが教えてくれたこと」(日経プレミアシリーズ)を読んだ。
木村氏は、えらく老け顔である。それは、前歯がないからであろう。その前歯は、自然栽培が成功する前段階で生活苦のためにアルバイトをしていたキャバレーでヤクザを客引きしてしまった始末の結果、抜けたものらしい。理由はともあれ、何だか親しみを感じる。
週末には岐阜で中途半端ながら、耕す田畑がある。田んぼは、自主休耕中である。しかしながら、年に3・4回の草刈を要している。草を刈るのみで何もつくっていない。隣の田に草の種が飛ぶのを避けるための草刈であり、生産的なことは何もしていない。
他方、畑は、専ら母親が世話をしている。いろいろ、頼まれる。耕運機をかけてほしとか、肥料を買ってきてくれとか、添え木や網を張ってほしいとか、いろいろである。
この本曰く、肥料をやっていけない、土は起こさない、農薬をやっってはいけないというのである。母親は、農薬はほとんどやっていない。虫が野菜を食っているのは、農薬を施していない証であり、安全であるというのが、母親の自慢である。
ところが、木村氏の本曰く、自然栽培での野菜には虫はつかないのだという。
素晴らしいではないか。自然栽培が定着するには一定の年数を要するようであるが、自然栽培と趣味の釣りは両立する期待感があり、明るい老後の予感がする。
読んでいて、いまや現代人は脳が複合汚染化されていて、キレる若者が増えてきているのかもしれないと説得されてしまう。そういえば、このところ、自分もメッキリ記憶力が落ちている。これも、単身赴任で外食やインスタント系の食事が多いせいだと納得しておきたい。
何よりも気に入ったのが、雑草も必要だというところ。草払機での非生産的な作業に「地球温暖化に逆らっていないか?」との常日頃の自分の疑問に、明快な回答を得た気分だ。
木村氏は、教科書にいう窒素、リン酸、カリの三大肥料の科学の常識でさえ否定している。窒素は必要だが、リン酸、カリは自然界にないから人的に施す必要はないというのである。窒素させ、大豆を植えてやれば大豆の根粒菌が作り出す窒素で十分だというわけである。連作の回避でさえ不自然であると言い切り、混植を進める。トマトの横には大豆を4粒ほど植え、麦も絶賛。麦を育てることにより、土を耕す必要もないというのでる。
「混植」と言えば、宮脇 昭 ・横浜国大名誉教授も植林は「混ぜて混ぜて」と主張している。木村氏も原種の力を引き出すことが重要であるとしている。宮脇名誉教授も、同様の主張をしており、原種の力を「鎮守の森」に見出せとして、タブの木、樫の木、椎の木などの混植を力説している。
そう言えば、このふたり、徹底した観察という点でも共通するものが多い。
いやはや、この本は、自然農法に興味を惹きつけてやまない手始めの一冊となりそうだ。
2009年6月28日日曜日
長良川への釣行
10:30から13:30までの3時間限定の釣行です。
昨日のリベンジのつもりなのですが、どうも、いまいち盛り上がるものがありません。ただ、3時間という時間にせかされるように、関市内の長良川は千疋大橋に向かった。
橋のたもとにある三平オトリ店にてオトリを購入かたがた、様子を聞いてみる。「オトリ屋だからね、調子いいよといいたいところだけどね、今一だよ。」、「まあ、頑張ってよ。」
橋の上流、200メートルほどのところで友釣り専用区が終了する。そのあたりに瀬がある。その上流側は、広々とした川面が広がっている。ここでは、投網をする人をよく見かける。この日は、投網の人がいなかった。専用区では、4・5人が入川しているが、やはり掛かっている様子はない。
投網をするあたりは、腰までの水深があり、石にもぬめりがある。ここでリベンジなるか。オトリは小さめのモノを選んできました。
丁寧にオトリを送り込みます。鼻を引っ張らないように、じっとガマンです。すると、オトリは、グイグイと上流にのぼっていきます。ベタでダッダ広い川面を眺めているのですが、どこがポイントなのかよくわかりません。
そのうち、ボートが4艘、やってきました。家族連れのようです。瀬を前に緊張しているようです。下流の釣り人と岩場をどのように抜けていくか打ち合わせているようです。
ヒトの頭ほどの石がぎっしり詰まっています。普通なら、アタリがきてもいいはずです。
そのうち、投網の人が一人、入ってきました。当方を遠慮してえらく遠くから投網をはじめました。ほとんど、網にも野鮎が掛かりません。掛かっていてもかなり小さいようです。野鮎を飛び跳ねるのを待っているようですが、野鮎の跳ねも見受けられません。
厳しい状況です。
無常にも、正午を告げるチャイムが鳴ります。あと、1時間半。
非情にもその後の1時間半も、まったく状況に変化なし。上流右岸に鵜が休んでいます。鵜がいるのだから、野鮎はいるに違いありません。
携帯電話のアラームが、13:30を告げます。タイムアウト。
本日も、ボウズです。もう、友釣りの感触を忘れてしまいました。
帰宅すると、師匠に注文を依頼していた鮎ダモ、タイツ、鮎タビが届けられていました。感謝、感謝です。次回の釣行に期待せざるを得ません。長良川中央は、ほんとうに調子が悪いらしいといことで。