木村秋則著「りんごが教えてくれたこと」(日経プレミアシリーズ)を読んだ。
木村氏は、えらく老け顔である。それは、前歯がないからであろう。その前歯は、自然栽培が成功する前段階で生活苦のためにアルバイトをしていたキャバレーでヤクザを客引きしてしまった始末の結果、抜けたものらしい。理由はともあれ、何だか親しみを感じる。
週末には岐阜で中途半端ながら、耕す田畑がある。田んぼは、自主休耕中である。しかしながら、年に3・4回の草刈を要している。草を刈るのみで何もつくっていない。隣の田に草の種が飛ぶのを避けるための草刈であり、生産的なことは何もしていない。
他方、畑は、専ら母親が世話をしている。いろいろ、頼まれる。耕運機をかけてほしとか、肥料を買ってきてくれとか、添え木や網を張ってほしいとか、いろいろである。
この本曰く、肥料をやっていけない、土は起こさない、農薬をやっってはいけないというのである。母親は、農薬はほとんどやっていない。虫が野菜を食っているのは、農薬を施していない証であり、安全であるというのが、母親の自慢である。
ところが、木村氏の本曰く、自然栽培での野菜には虫はつかないのだという。
素晴らしいではないか。自然栽培が定着するには一定の年数を要するようであるが、自然栽培と趣味の釣りは両立する期待感があり、明るい老後の予感がする。
読んでいて、いまや現代人は脳が複合汚染化されていて、キレる若者が増えてきているのかもしれないと説得されてしまう。そういえば、このところ、自分もメッキリ記憶力が落ちている。これも、単身赴任で外食やインスタント系の食事が多いせいだと納得しておきたい。
何よりも気に入ったのが、雑草も必要だというところ。草払機での非生産的な作業に「地球温暖化に逆らっていないか?」との常日頃の自分の疑問に、明快な回答を得た気分だ。
木村氏は、教科書にいう窒素、リン酸、カリの三大肥料の科学の常識でさえ否定している。窒素は必要だが、リン酸、カリは自然界にないから人的に施す必要はないというのである。窒素させ、大豆を植えてやれば大豆の根粒菌が作り出す窒素で十分だというわけである。連作の回避でさえ不自然であると言い切り、混植を進める。トマトの横には大豆を4粒ほど植え、麦も絶賛。麦を育てることにより、土を耕す必要もないというのでる。
「混植」と言えば、宮脇 昭 ・横浜国大名誉教授も植林は「混ぜて混ぜて」と主張している。木村氏も原種の力を引き出すことが重要であるとしている。宮脇名誉教授も、同様の主張をしており、原種の力を「鎮守の森」に見出せとして、タブの木、樫の木、椎の木などの混植を力説している。
そう言えば、このふたり、徹底した観察という点でも共通するものが多い。
いやはや、この本は、自然農法に興味を惹きつけてやまない手始めの一冊となりそうだ。