2009年6月29日月曜日

「りんごが教えてくれたこと」を読んで

木村秋則著「りんごが教えてくれたこと」(日経プレミアシリーズ)を読んだ。

木村氏は、えらく老け顔である。それは、前歯がないからであろう。その前歯は、自然栽培が成功する前段階で生活苦のためにアルバイトをしていたキャバレーでヤクザを客引きしてしまった始末の結果、抜けたものらしい。理由はともあれ、何だか親しみを感じる。

週末には岐阜で中途半端ながら、耕す田畑がある。田んぼは、自主休耕中である。しかしながら、年に3・4回の草刈を要している。草を刈るのみで何もつくっていない。隣の田に草の種が飛ぶのを避けるための草刈であり、生産的なことは何もしていない。

リンゴが教えてくれたこと (日経プレミアシリーズ 46)

他方、畑は、専ら母親が世話をしている。いろいろ、頼まれる。耕運機をかけてほしとか、肥料を買ってきてくれとか、添え木や網を張ってほしいとか、いろいろである。

この本曰く、肥料をやっていけない、土は起こさない、農薬をやっってはいけないというのである。母親は、農薬はほとんどやっていない。虫が野菜を食っているのは、農薬を施していない証であり、安全であるというのが、母親の自慢である。

ところが、木村氏の本曰く、自然栽培での野菜には虫はつかないのだという。

素晴らしいではないか。自然栽培が定着するには一定の年数を要するようであるが、自然栽培と趣味の釣りは両立する期待感があり、明るい老後の予感がする。

読んでいて、いまや現代人は脳が複合汚染化されていて、キレる若者が増えてきているのかもしれないと説得されてしまう。そういえば、このところ、自分もメッキリ記憶力が落ちている。これも、単身赴任で外食やインスタント系の食事が多いせいだと納得しておきたい。

何よりも気に入ったのが、雑草も必要だというところ。草払機での非生産的な作業に「地球温暖化に逆らっていないか?」との常日頃の自分の疑問に、明快な回答を得た気分だ。

木村氏は、教科書にいう窒素、リン酸、カリの三大肥料の科学の常識でさえ否定している。窒素は必要だが、リン酸、カリは自然界にないから人的に施す必要はないというのである。窒素させ、大豆を植えてやれば大豆の根粒菌が作り出す窒素で十分だというわけである。連作の回避でさえ不自然であると言い切り、混植を進める。トマトの横には大豆を4粒ほど植え、麦も絶賛。麦を育てることにより、土を耕す必要もないというのでる。

「混植」と言えば、宮脇 昭 ・横浜国大名誉教授も植林は「混ぜて混ぜて」と主張している。木村氏も原種の力を引き出すことが重要であるとしている。宮脇名誉教授も、同様の主張をしており、原種の力を「鎮守の森」に見出せとして、タブの木、樫の木、椎の木などの混植を力説している。

そう言えば、このふたり、徹底した観察という点でも共通するものが多い。

いやはや、この本は、自然農法に興味を惹きつけてやまない手始めの一冊となりそうだ。

2009年6月28日日曜日

長良川への釣行

10:30から13:30までの3時間限定の釣行です。

昨日のリベンジのつもりなのですが、どうも、いまいち盛り上がるものがありません。ただ、3時間という時間にせかされるように、関市内の長良川は千疋大橋に向かった。

橋のたもとにある三平オトリ店にてオトリを購入かたがた、様子を聞いてみる。「オトリ屋だからね、調子いいよといいたいところだけどね、今一だよ。」、「まあ、頑張ってよ。」

P1040863 橋の上流、200メートルほどのところで友釣り専用区が終了する。そのあたりに瀬がある。その上流側は、広々とした川面が広がっている。ここでは、投網をする人をよく見かける。この日は、投網の人がいなかった。専用区では、4・5人が入川しているが、やはり掛かっている様子はない。

P1040869

投網をするあたりは、腰までの水深があり、石にもぬめりがある。ここでリベンジなるか。オトリは小さめのモノを選んできました。

丁寧にオトリを送り込みます。鼻を引っ張らないように、じっとガマンです。すると、オトリは、グイグイと上流にのぼっていきます。ベタでダッダ広い川面を眺めているのですが、どこがポイントなのかよくわかりません。

そのうち、ボートが4艘、やってきました。家族連れのようです。瀬を前に緊張しているようです。下流の釣り人と岩場をどのように抜けていくか打ち合わせているようです。

P1040858 ヒトの頭ほどの石がぎっしり詰まっています。普通なら、アタリがきてもいいはずです。

そのうち、投網の人が一人、入ってきました。当方を遠慮してえらく遠くから投網をはじめました。ほとんど、網にも野鮎が掛かりません。掛かっていてもかなり小さいようです。野鮎を飛び跳ねるのを待っているようですが、野鮎の跳ねも見受けられません。

厳しい状況です。

無常にも、正午を告げるチャイムが鳴ります。あと、1時間半。

非情にもその後の1時間半も、まったく状況に変化なし。上流右岸に鵜が休んでいます。鵜がいるのだから、野鮎はいるに違いありません。

携帯電話のアラームが、13:30を告げます。タイムアウト。

本日も、ボウズです。もう、友釣りの感触を忘れてしまいました。

帰宅すると、師匠に注文を依頼していた鮎ダモ、タイツ、鮎タビが届けられていました。感謝、感謝です。次回の釣行に期待せざるを得ません。長良川中央は、ほんとうに調子が悪いらしいといことで。

2009年6月27日土曜日

板取川への釣行

板取川(いたどりがわ)は、岐阜県は長良川の支流のひとつである。

天候にあまり左右されない川と聞いており、雨のあとも、あまり濁りが入らず水位もあまり上がらないとのことである。2・3日前まで雨が降って、ようやく長良川本流は平水にもどったということなので、板取川に行くことにした。

本流の山崎橋のたもとにある矢島オトリ店で遊魚料の年券(9,000円)を購入、オトリは4尾、1,000円でした。いつもは、3尾、1,000円ですから、いつもより1尾のゆとり。これには、本日の釣果を期待せざるを得ません。

長良川中央管内の板取川を見て周りました。下橋あたりは、すでにかなりの人、ひと、ヒト。何だか、川が透明すぎるような感じがします。石も、白い感じなのです。本日は、単独釣行。こういうときは、困ります。どこに入るべきか、迷います。面平(おもひら)でも車を降りて眺めてみました。やはり、川が透明すぎて、石が白く、まだ藻がついていない感じです。

10;00、最終的に比較的すいている曙橋(あけぼのばし)の上流、100メートルほどに入川。

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流れはゆったりしています。水深は、深いところで腰あたりというところです。橋の上流側には5人。どの竿もあがりません。やがて、上流から、ひとりの人がやってきて、「釣れまへんわ~、鮎がいないのか、腕ががわるいのか・・・」と。次第に不安になります。

昼近くになり、ひとり、二人と川を上がっていきます。

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昼食だろうと思ったのですが、戻ってきません。見切りをつけたようです。一人欠け、二人欠け、自分も橋もたもとに少しづつ移動です。14時近くになり、ピョン、ピョンと鮎が跳ね始めました。小さい野鮎です。とても、串焼きといえるほどのサイズではありません。

あと、1時間。15時には引き上げなければなりません。

オトリ鮎は、もうバテバテです。野鮎が跳ねます。

オトリ鮎は、本日、4尾。確かに、本日は余裕のスタートでした。なぜか、引き舟には、オトリが3尾。残りの1尾は、上流の入川じたところに沈めたオトリ缶のなかです。あと、1時間、上流に戻って、オトリをもってくるほどの余裕がありません。

あぁ~、予備のつもりでオトリ缶に残しておいた1尾、悔やまれます。3尾で十分などと思い上がっていた自分が悔やまれます。いま、ここで元気なオトリを放てば、きっと野鮎はかかるに違いまりません。

そんなこんなで、タイムアップの携帯電話のアラームが非情にも15時を告げます。

恥ずかしながら、本日、ボーズです!

川入地点までの戻り、オトリ缶を引き上げます。ピチピチとしたオトリ鮎が1尾。「急がば、回らない!」とは、17歳、プロゴルファー・石川 遼の座右の銘とか。ごもっともです。

2009年6月21日日曜日

氷見へのドライブ

いくつか記念日が重なり、先週、氷見へ魚を食べに行こうということが決まった。大人6人とこども1人。2台の車で6:30に出発。50歳も後半にさしかかった身には、連日の遠出はちょっときつい。しかも、天気は雨。

なぜ、氷見なのか。高速料金が一律1000円となったこと、日帰りで美味しい魚を食べようとなったことこと、美味しい魚といえば日本海であること、わが家から東海北陸自動車道を通ってまっすぐ北に突き当たったところに富山県の氷見(ひみ)漁港があること・・・、というか、なぜか、魚をと言えば「氷見」という頭がみんなにあったというのが正直なところであり、理由はない。

東海北陸自動車道には、54ものトンネンがある。昨年7月に飛騨清美と富山県側の五箇山がつながり、東海と北陸間が全線開通となった。両者の間には、白川郷がある。また、この間はトンネルの連続であり、このうち富山県境に近い飛騨トンネルは11キロ弱と日本で二番目に長いトンネルである。

国境に近い長いトンネルを抜けるとそこは晴れだった。

「ひるがの」と「城端」のサービスエリアで2度の休憩。10時には氷見に到着。

富山県内に入るといつも感心することがある。一軒、一軒の家が立派であり、しかも屋根瓦が黒光りしていること。

富山県内に入ると、うそのように晴れ渡り、家々の屋根が黒光りしている。氷見港に到着したときには、下の写真のようにきれいな景色が広がっていた。こんもりした木の茂りが、唐島である。

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まずは、昼食の予約。氷見出身の同僚に紹介してもらった「鮨処きよ水」。道の駅のすぐ前にある。

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昼食までの時間を道の駅の海鮮館にて、岩がきを食べたり、買い物をしたり。

昼食は、すし、茶碗蒸し、カレイの唐揚げ、焼き物ののど黒、天ぷら。

すしはもちろんのこと、焼いたのど黒が、しっとりして上品。実にうまかった。これには、みんなが感激!

13時近くになり、こどもに街中の仕掛け時計を見せようということでに13時を待つ。20人近い人が見学。13時、噴水とともに忍者ハットリ君のキャラクターがテーマソングにのって登場。

氷見は、藤子不二雄Aの出身地。

街中の郵便ポストのうえにも、忍者ハットリ君のキャラクターが乗っており、氷見線の車輌にもブリと忍者ハットリ君のキャラクターが描かれていた。

趣のある街並みにて漫画通りは風情もある。

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次に、後戻りして氷見海岸方面に足を伸ばし、海を見る。

立山連峰が望めなかったのは残念であったが、素晴らしい景観。

川もいいけど、やはり海もいい。

2009年6月20日土曜日

馬瀬川の鮎釣り解禁

本日、岐阜県飛騨地方・下呂市内の馬瀬川(まぜがわ)の鮎釣りが解禁。

深夜に6人の同好会メンバーが馬瀬川上流域の黒石という地区にテントを張って夜明けを待つ。テントを張ってくれた人たちに感謝感激の一言。夜明けまでテントのなかで酒盛りをしながら、夜明けを待つというのが、恒例。鹿のタン、モモ肉の燻製を堪能、絶品。

昨年は、帰省できなくて参加ができなかった経緯あり。今年は、1週間、解禁日を取り違えていて、前日に仕事での懇親会が入っていたため、帰省したのが0時近く。そのうえ、解禁日を1週間間違えていたこともあり、支度もできていない始末。遅かりし由良之助。急ぎ、準備。1:45、師匠が迎えに来てくれて馬瀬川へ。車中は、例によってぐっすり。私の釣行は、多くの人に支えられて続いている。

4:30頃から、いよいよスタート。下の写真は、スタートした頃の釣り場の様子。

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最初の鮎は釣れたのは、20分後あたり。

記念すべき、今シーズンの初モノは、ご覧のとおり可愛いチビ鮎です。11・2センチ。小さいながらも、スイカの匂いがプンプンします。さすが、日本一美味しいと賞賛される鮎河川です。

シーズン到来を実感。

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この後、朝の陽でも差し込んでこようものなら、バンバン入れ掛かり、眠気など吹っ飛ぶに違いないと。ナント言っても解禁日なのですから。

が、しかし、がしかし、しかしながら・・・・、ナント、例によって、あとが続きません。明るさとともに、入川者も増えてきたのですが、どの人の竿も曲がりません。

ちょっと、水温が低すぎるのだろうと、睡魔も襲ってきたので、テントで仮眠。

再開したのは、川面に徐々に朝陽が差し込んできた頃。やはり、魚信すらありません。

やがて昼となりますが、好転はしません。昼までに、二度目の仮眠。水温が上がって鮎が活性化した時のために、オトリを元気のまま温存しておく必要もあろうと、それなりの理由をつけ、睡魔に負ける。

昼までには、場所替えのためでしょう、川からあがっていく人もチラホラ。

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川もこんなに透き通っています。いまにも、釣れそうです。地元の人の話では、天候のため稚鮎の放流が遅れたこと、放流後も天候が優れなかったことなどが重なり、鮎の成長が遅くなっているとのこと。

メンバーの中には、裸眼で小鮎の群れがいることや、茶色の岩の横を食んでいる鮎がいることを見て取ることができる人もいる。当方は、偏向グラスをしていても、鮎が確認できません。

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15:00に退散することとなり、本日の釣果は、8尾。

下の写真のうち、大きい鮎、3尾は、オトリ鮎です。やはり、釣れた鮎は小ぶりです。串焼きというサイズではないので、小さいモノは天ぷらということになります。

P1040743

厳しいシーズンを思わせるスタートとなりました。

ちなみに、師匠は33尾。

まずは、場所ムラありとして、次回に期待!

2009年6月17日水曜日

丹羽文雄「鮎」を読んで

講談社・文芸文庫、丹羽文雄短編集「鮎 母の日 妻」を読んでみた。アマゾンで取り寄せた一冊である。

手にして驚いた。たかだか300ページ足らずの文庫本が、1470円なのである。ネットでよさそうなものをポンポンと選んでしまったことを後悔。

まず、「鮎」の短編を読む。分からない。内容が理解できないのである。鮎釣りの話が出てくるわけではない。母親の和緒、その息子の津田、母親を世話する旦那の守山の話なのである。舞台は岐阜。母・息子が鮎の魚田を食べるシーンがほんのチラリと登場する。それが「鮎」という短編であり、丹羽文雄が文壇で注目されるようになった一作だというのである。

さっぱり頭に入ってこない。

鮎・母の日・妻―丹羽文雄短篇集 (講談社文芸文庫 (にB1))

それは、酒を飲んでの帰宅途中だったからというわけでもない。

もう一度、読み返してみて、母親と息子、旦那の話だったのかということが分かる。

二度、読まなくはならない。だから、本代も二度読み価格となっている。変に納得してしまう。

守山が自殺をしてしまう。その葬儀には和緒は出ることができず、葬列を自宅の二階から息子と見送る。そんなことがあって、突然、和緒は「魚鉄」へいこうと息子を誘う。その魚鉄は、和緒が守山の世話を受けることを決めた割烹であるが、そこの自慢は鮎ではない。うなぎである。

息子は、母親が守山との思い出の場として誘ったのか、ただ単にうなぎが食べたかったのだろうかと思い巡らすが、うなぎを食べたいだけの移り気な母親に思いをいたすというお話である。

丹羽文雄の小説には、そうしたちょっと妖艶で身勝手な母親がよく登場する。

鮎シーズン開幕の意気が、なんだかナゲてしまった。

うなぎでも食べるか!

2009年6月16日火曜日

夢枕 獏 「鮎師」を読んで

鮎の友釣りが解禁となっている。シーズン開幕を受けて自分のモードをあげておこうと、アマゾンで「鮎」を検索して何冊の本を取り寄せた。

その一冊が夢枕 獏 著「鮎師」である。

舞台は、小田原市の早川である。早川は、箱根の芦ノ湖から小田原市を流れて相模湾に注ぐ、2級河川である。作者自身が小田原出身であり、本人も鮎釣りに夢中だったことは小説を読んでいて容易に伝わってくる。

主人公は、市内でカメラ店を営む菊村。鮎の[ちんちん釣り]をたのしむ一釣り人である。それが、川底の石に巨大な鮎のハミ跡を見つけて、その巨大鮎を追い求めるというストーリーであるが、その巨大鮎を狙い続けている黒淵という男の存在が絡み合ってくる。

鮎師 (文春文庫)

巨大鮎の大きさは、60センチを超えるモノで、小説の表現を借りれば「人間でいえば4メートル」というスケールになる。鮎は年魚である。従って、現実では30センチを超える鮎とうのは、なかなか拝めない。その巨大鮎は、5・6年の年越しをしている想定である。

ちんちん釣りというのは、ドブ釣りのことかと思っていたが、ドブ釣りというものとも違うようである。このあと、「陰鍼」というのが登場する。最後には、このちんちん釣りと陰鍼を組み合わせたとようなことにあるのだが、読み物として面白かった。

鮎は、なぜか巨大鮎を求めていくストーリーが多いようだ。2年ほど前だったかに、花見正樹著「巨鮎に憑かれた男たち」(つり人社)を読んだことがある。バイオ鮎の話であったが、九州は球磨川の巨鮎の話だったようにも思うのだが、「鮎師」にもある琵琶湖での巨鮎の試験飼育の話とダブっていたようにも思うんだが、混乱している。いずれにしても、巨鮎の話が取り上げやすのだろうか。

大きな鮎といえば、自分の経験では富山県の小矢部川の鮎である。ヤマメのようなマルマルとした鮎であった。あれは4・5年ほど前になるだろうか。実に面白かった。

2009年6月14日日曜日

野沢 尚 「反乱のボヤージュ」を読んで

野沢 尚の「反乱のボヤージュ」(集英社文庫)を読んだ。

坂下薫平(さかしたくんぺい)という医学生が学生寮で経験する人間ドラマである。小説のなかで出てくる時代背景は、いまこの時代である。「ゆず」とかという二人組みの名前も出てきたりもしている。しかしながら、ストーリーの展開はまったく1975年前後とかぶる。野沢自身は、1960年生まれというから円高不況といわれた時代が背景にあるのかもしれないが、自分の学生時代が思い出された。

自分が大学に入学した頃は、学生運動のピークを過ぎたあたりであった。それでも、構内には独特の自体で書かれたたて看板が並び、校門近くでは「我々はぁー!・・・」とメガフォンを片手に学生に訴えている活動家がいることが、日常であった。お陰で大学の授業料はたいそう安く、そのせいかどうかは別として、授業のボイコットも結構あった。活動家に囲まれて、自己批判を強要される教授陣もあった。挙句には、テストもボイコットされることがよくあり、テストがレポート提出に振り代えられることが多かった。そんな環境のなかで、友人への麻雀での負けをレポートの代筆で帳消しにしてもらったり、随分、勉強もした?時代でもあった。

自分が薫平のような立場にいたというわけではない。むしろ、それを傍観していた側の学生であった。しかしながら、友人や知り合い連中には、ヘルメットを被っている者もいた。ウチゲバで友人が下宿に逃げ込んできたこともある。一度は、デモに参加したこともある。頭をあげてデモっていたため、リーダーのような学生に頭を下げろ、写真を撮られるぞと怒鳴られたことがある。あのデモの時、ちょっと感動のようなものがあったことも覚えている。

クラブ活動の大学の支援金の配分を学生組織が行っていて、デモに参加して予算配分を受ける実績づくりということもあっての参加だった。だから、動機は不純であり、自分は学生運動には傍観者側の学生であった。

小説の弦巻寮という首都大学の学生寮は、大学側の意向により取り壊されることが決定するのだが、例によって寮の自治と人間模様が絡んですストーリー展開していく。ここで、ちょと不思議な人物が登場する。名倉という、大学側から送られてきた舎監である。彼は、浅間山荘事件のときの機動隊のひとりであったという経歴を持っている。

「反乱のボヤージュ」というタイトルにあるように、寮生たちが精神的に成長していく過程が描かれている。

野沢 尚 の小説は、これ以外には「恋愛時代」を読んだ。これは、韓国のドラマをネットで観て原作を読んでみたくなったのであるが、自分の懐かしい20才前後に思いを馳せさせてくれる小説である。

ちょっと、一休みして読んでみたい小説である。

2009年6月9日火曜日

鮎の縄張り

鮎の友釣りは、鮎の縄張り意識を利用した釣りである。畳一枚ほどの縄張りの中にオトリ鮎を送り込んでやると、闘争心を剥き出しに野鮎がオトリ鮎に体当たりする。オトリ鮎にはお尻に錨型のハリをつけており、そのハリに野鮎が掛かるというものである。その野鮎の闘争心のシンボルがエラのあたりにくっきり現れる黄色い追星と呼ばれる三日月型の模様である。

しかしながら、このところの鮎にはその闘争心というものがまるきっりないといわれている。群れを成して泳いでいるのである。

最近の鮎は、専ら、養殖した稚魚、成魚の放流ものが多くなった。天然ものも多いのだが、やはり河川の各漁協は、養殖ものを放流してよく釣れる河川として釣りファンを呼び寄せて入漁料を得ることによって、利益を得ている。

養殖となれば、数多くの成魚からかき出した卵に精子をかけて大量に養殖するわけであるが、精子はおそらくほとんど同じオスのものに違いない。つまり、ほんどの稚魚は、兄弟ないしは義兄弟となる。しかもその精子も、戦い抜いて生き残ったオスの精子というわけでもない。メタボな養殖鮎の精子に違いない。

そんな生い立ちの養殖鮎に闘争心などあるはずがない。群れ鮎が多いのは、このいまどきの漁協制度に由来するものと考えていた。

高橋勇夫・東健作共著「ここまでわかったアユの本」(築地書館)に面白いことが書いてあった。

海から遡上してきた鮎を観察しても、群れる鮎があり、弱い野鮎の縄張りは平気で侵し、強い野鮎の縄張りには進入しないものらしい。

鮎は、川底の石についた藻類をはんで育つ。同様に、ボウズハゼも藻類を食し、縄張りをもって排他的な攻撃を示すらしい。このボウズハゼは、縄張りに入ってきた鮎に攻撃を加えるらしいのだが、鮎はボウズハゼを攻撃することはないのだという。

鮎は、なぜボウズハゼを追わないのか、同書では「鮎に聴いてみなおとわからない」というのが結論らいしいのだが、鮎はほんとうに気まぐれで得体が知れない。

ゴルフスコアを100を切るためには、練習に加えて本を何冊か読破し、さらに練習を積まなければならないということを聞く。

鮎シーズン到来。

とりあえず、手始めに本書と夢枕 獏 著「鮎師」を読んでみるとしよう。