本日、7月21日、衆議院が解散した。
麻生総理の唯一の信念ともいえる自らの解散が実現したことになる。自民党の自爆解散との見方もある。確かに、自民党内のゴタゴタは組織の末期症状のようでもあった。しかしながら、反麻生派の中川秀直元幹事長も、自民党両議院議員懇談会において麻生総裁が自らの統率力のなさが地方選挙に影響を与えたことを認め、力不足を詫びたことを評価し、麻生総裁に握手を求めた。
残すところ、投票まで40日。民主党が圧倒的に有利といわれる今回の選挙。ヒトのうわさも47日とか、案外、自民党は巻き返すかもしれないと思ったりうもする。もちろんのこと、自公での過半数獲得は無理であろうが、自公と民主党をはじめとする野党は均衡する状況となるかもしれない。40日もあれば、国民は、民主党のマニフェストの張りボテさと自民党の3弾ロケット方式のバラ撒き予算も冷静に判断できるに違いない。
ここで要注意は、マスコミである。マスコミ自身の冷静な対応と、マスコミ報道を割り引いて捉えるわれわれ自身の冷静さも求められるところである。
先週、半藤一利 「幕末史」(新潮社)を読んだ。これは、半藤氏が、昨年、いわば市民公開講座で講演をした内容を筆記・調整したものである。同氏の同様の歴史解説に「昭和史」(平凡社)がある。現在、同書は文庫本でも出ている。何年か前に単行本で同書が刊行された折に読んだことがある。歴史解説は、語りべ調のモノの方が読みやすい。今回の「幕末史」も同様に分かりやすい。
同書は、ペリー艦隊の来航から明治11年頃まで25年間ほどの話である。現在、一般的に理解されている歴史観とはちょっと異なり、反薩長歴史観が語られている。そのことは、同書の冒頭でも触れられていることであるが、「一方を聞いて沙汰をするな」ではないが、面白い。要は、明治維新は維新ではなく、薩長による革命だという視点である。薩長のいわゆる官軍の御旗、幕府討伐の勅旨も岩倉具視と薩長による偽物であって、当初、薩長には天皇制のような国家観などもなかったというのである。つまり、幕末は国家の将来のビジョンなき政局レベルでの革命の歴史であったというわけである。
鎖国政策をとっていた幕府は、中国のアヘン戦争、アメリカの南北戦争などの海外の情報をいろいろと入手していて、ある意味では適切な判断をしていた事実があること。
他方、歴史には「意志」があり、要所要所に面白仕掛けをしていること。
「邂逅」という、川端康成が好んだ言葉がある。モノゴトはあとから後から考えてみるとなるようになっているというモノであるが、歴史もあとから振り返るとなるようにしてなっているわけであるが、その局面、局面では、面白い人員配置、人の巡り合わせを用意しているといことであろう。
今度の選挙は、歴史的な選挙にあることは確かであろう。政界再編が起こり、場合によっては来年の参議院選挙には衆参同時選挙なんてこともありとの見方さえある。
いずれにしても、将来、歴史の悪戯という転換点がこの選挙であったなどといわれることのないよう、われわれは国政の視点に立って、より広い視野をもった信念のある人を国政に送り出さなければならないのでは。少なくとも、政局のための選挙であっては、いけない気がする。そういう意味では、国民の良識が問われる選挙でもあるのかもしれない。
国政に送らなければならない人物の本人の選挙公約に、県会議員・町会議員レベルの選挙公約を掲げなければならないような小選挙区制度も、これまた、いと可笑し。