2011年10月2日日曜日
長良川・円空の里に釣行
道路から川見をすると、橋の下の右岸の大きな沈み石には群れ鮎が泳いでいる。まだまだいるではないか。はやる気持ちをぐっと抑えながら、おとりを購入して入川。
2011年9月25日日曜日
同好会鮎釣り大会
オトリ3尾の配給を受けて、8時から11時までの3時間での釣果を競う。朝陽が差し始めてやや暖かくなるものの、水温は16度、低い。水は透明度が高く、見た目以上に水深がある。
最初に入った場所が下の写真の大岩の上流である。手前から大岩あたりを探るつもりであったが、味場が砂地であり、立っているうちに足元がすくわれ、深い淵に持っていかれそうである。流れも強い。大岩の際で釣り上げ、淵の流れのたるみで引き上げるイメージなのだが、どうもうまくいかない。
上の写真は、左岸に向かって竿を出す同好会メンバー。
表彰式のあと、恒例のバーベキュー。
鮎釣りは、いよいよシーズン閉幕に近い。
2011年9月10日土曜日
長良川・大和地区への鮎釣り釣行
前回は、大きな鮎に仕掛けが切られたり、根掛かりで散々な思いをしている。
堰堤のところには、ヤナづくりが完成間じかであった。
この場所は、堰堤がるため、プール状態であり、右岸側に石がある。左岸側半分には大きな石はないようである。
すぐ上流の人の話によれば、4尾、サイズはそれほどでもないようだ。
オトリを送り出すと、すぐにあたりがきた。3連荘である。同じ場所である。次第にサイズダウンする。
釣れなくなったところに、Nさんが合流。Nさんも、早速に掛けている。
プールは昼あたりがよいと聞いたことがあるので、粘ってみる。15時になった頃には、そろそろキラキラと野鮎が食み出すのではないかとさらに粘ってみる。
4時あたりに、大きなキヒがあり、目の前で野鮎がオトリ鮎を思いっきり下流に引きずっていくのが見えた。久々に目印が吹っ飛ぶのを見た。
やがて、根掛かり、仕掛けをとられ、張り替える。水中イトをナイロン0.25にする。プール状態の泳がせ釣りにはナイロンがよいだろうと判断。しかし、驚いたことに堰堤近くのプール状態でも流れは木角だろうか、オトリ鮎がなかなか潜っていかない。こんなにイトに違いがあるのかと驚いた。
さらに、仕掛けを替えるる。ターボであるが、途中で繋いだもので、目印が水深2メーターどまり。オトリを泳がすす、目印が水中に入ってします。それでも、天井イトを見ながら、釣りを続けるものの、見つらい。ちょうど、10尾でツ抜けになり、16:00になったところで納竿。
これからが入れ掛かり時と後ろ髪も惹かれるのだか、仕掛けを替えることの面倒さが勝ってしまう。Nさんは、堰堤の下で続けている。場所は動かない、仕掛けの張替えも面倒がる、ここがNさんと自分の差だと納得しつつ、Nさんに帰途を告げる。
2011年8月28日日曜日
鮎の塩焼き
中の灰は、芝生に撒く砂をホームセンターにて購入し入れ替えた。
中央の炭を入れる籠は、小さめの餅焼き網を直角に折り曲げた2つを合体したものである。
よく、道の駅などでヤマメや鮎を焼いているが、大きなドラム缶など使われている。
まるで、櫓のまわりを鮎たちが盆踊りをしているようだ。
うまく焼けたかといえば、なかなかである。
まず、この方式では、火力が弱いようだ。
焦げ目がつかないことから、長く焼きすぎ、ホクホク感を通り越して日干し状態になってしまうところがある。
道の駅などでは、ドラム缶の上に蓋をしたりして高温を保ったりしている。
まだまだ改良の余地あり。
2011年7月21日木曜日
神通川への鮎釣り釣行
2011年6月18日土曜日
岐阜県馬瀬川の鮎釣り解禁
馬瀬川(まぜがわ)は、全国の利き鮎大会にて優勝すること、たびたび。鮎の全国ブランドは、何と言っても長良川の「郡上(くじょう)鮎」であるが、郡上に近い、和良川(わらがわ)、馬瀬川が、このところ常に上位を占めている。岐阜県にとっては、鮎三大河川と言ったところである。
その馬瀬川の解禁である。馬瀬川は、上流区域と下流区域で漁業組合がことなるが、この日は上流部の解禁である。上流部は、分水練のある高山市から下呂市への流れ、やがて木曽川へと合流していく。
17日(金曜日)の夜に帰郷し、最低限の仕掛けをつくり、18日の夜中の2時30分に自宅を出発。4時近くに馬瀬川上流域の黒石(くろいし)に到着。同好会の会長、師匠をはじめ、Tさん、Yさん、兄弟子のNさん・・・、毎年、テントを張り準備をしてくれるIさんとAさん。10人近い同好会のメンバーがテントを張って夜明けを待っている。
帰郷の車中にて鮎釣りのノウハウ本を読んだ。鈴木康友著「アユ釣りがある日突然上手くなる」(つり人社)である。巻末近くにこんな記述があった。「馬瀬川では白っぽく見える石をねらう。」、通常は、黒っぽい石をねらうのだが、川には個性があるというのだ。この本、瀕死のオトリでも元気なオトリのように扱うノウハウなど、素人の当方には、なるほどと思うようなノウハウが記載されている。とにかく、最初の野鮎をゲットするまでは、オトリを無理に引っ張らないことを決めていた。
人の顔が確認できないほどの暗さのなかで場所とりがはじまる。4時30分頃、いよいよ明るくなり、仕掛けの目印も認識できるようになる。下の写真が釣り始める頃のあたりの様子である。川の上流が堰堤。4時30分、釣りを開始。写真の手前の瀬の脇にオトリを送る。ジッとガマン。オトリが自ら動き出すまでジッとガマン。これが長い。まだ動かない。
3分ほどしてようやく動き始めtた。10分にも、15分にも思える時間だ、瀬脇の大きな石の下にある深みのある流れの緩やかな中に進んでいく。すると、キラキラキラッ。初ゲットと思って、竿をあげる。バラシである。ハリがグッと野鮎に刺さりこむまで待つ。バラして思い出す、ある日突然上手くなる鮎釣りの教訓本。
周りの人たちは、最初はなかなか竿があがらなかったものの、次第に掛かるようになる。自分も、再度同じオトリを送り込み、ゲット。15センチ前後の野鮎である。馬瀬川の鮎は、スイカの匂いがプーンとするのだが、まだ時期が早いのか、それほどしない。水温は14℃。長良川郡上の解禁日と否時である。
11時30までの間で移動したのは、上下あわせて30メートルほどである。ほとんど動いていないが、川の様子は、2メータもうごくと、随分と様子が変わっていることに驚いた。
9時30分頃、一旦、休憩を挟み、11時30分まで釣るも、根掛かりも多くなり、何人かの人たちが川からあがり始めた。それを機会に、当方も納竿とすることにした。
とにかく、眠むい。50歳代もあと数年ともなると、さすがにキツイものがある。無理をせず、釣りをたのしことに気持ちをシフトすることに。本日の釣果、19尾。
岐路、車に入っていた福山雅治のCDをガンガンかける。それでも睡魔が襲ってくる。東海北陸道の関サービスエリアで休憩。15分ほど、爆睡。
2011年6月5日日曜日
長良川・郡上地区鮎釣り解禁
不覚であった。6月5日が、長良川郡上地区の鮎解禁日とは気がつかなかった。一昨日の3日の夜、師匠から、郡上の解禁はどうするかとの電話あり。3週間ぶりの帰郷の車中。鮎釣りの解禁は、例年、馬瀬川と決まっていたので、6月18日が鮎釣り解禁とばかり思い込んでいた。電話をもらって思い出した。昨年、確かに郡上の解禁日に出掛けた。前夜から泊り込み、夜明けとともに釣り始めた。満天の星が、実にきれいであった。
昨日(土曜日)は、久しぶりの帰郷にて百姓仕事があった。午前中、一反ほどの田んぼの草刈を済ませ、トマトにちょっとしたビニール屋根を設置した。昼、本日の初釣行の準備。仕掛けは新たに作る時間はないため、昨年の仕掛けをチェック。ウェーダーに水が進入してくることを思い出し、岐南町の上州屋に直行。驚いた。鮎関連の商品がほとんどない。ウェーダーも僅か。このところ、ピ-ク時に比して10キロ痩せたこともあり、LLからLサイズになった。ちょうど、Lサイズがあった。シマノの新商品である。残念。股下が82センチのLサイズ。試着してみる。やはり、ちょっと股下が長すぎる。ダイエットで股下も縮んでしまったらしい。ウェーダーの股下がちょうどのモノがない。明日は解禁日。
今年は、昨年の解禁日とは違って、朝の5時に自宅を出発。入川場所は、岐阜県郡上市大和町の上万場(かみばんば)。初めて入川する場所である。何でも、師匠が下見で決めていた場所らしい。橋の上から、釣り人の様子を見る。釣れているような雰囲気ではない。川に鮎を見つけることもとできない。
橋の下流側に師匠とふたりで入川。気温24度。水温14度。
釣り始めて間もなく、ポン、ポンと、5・6匹が釣れる。釣れるものの、手ごたえがない。水温が低く、活性化していなのか、電信が伝わってこない。4尾あたりからは、サイズダウン。