馬瀬川(まぜがわ)は、全国の利き鮎大会にて優勝すること、たびたび。鮎の全国ブランドは、何と言っても長良川の「郡上(くじょう)鮎」であるが、郡上に近い、和良川(わらがわ)、馬瀬川が、このところ常に上位を占めている。岐阜県にとっては、鮎三大河川と言ったところである。
その馬瀬川の解禁である。馬瀬川は、上流区域と下流区域で漁業組合がことなるが、この日は上流部の解禁である。上流部は、分水練のある高山市から下呂市への流れ、やがて木曽川へと合流していく。
17日(金曜日)の夜に帰郷し、最低限の仕掛けをつくり、18日の夜中の2時30分に自宅を出発。4時近くに馬瀬川上流域の黒石(くろいし)に到着。同好会の会長、師匠をはじめ、Tさん、Yさん、兄弟子のNさん・・・、毎年、テントを張り準備をしてくれるIさんとAさん。10人近い同好会のメンバーがテントを張って夜明けを待っている。
帰郷の車中にて鮎釣りのノウハウ本を読んだ。鈴木康友著「アユ釣りがある日突然上手くなる」(つり人社)である。巻末近くにこんな記述があった。「馬瀬川では白っぽく見える石をねらう。」、通常は、黒っぽい石をねらうのだが、川には個性があるというのだ。この本、瀕死のオトリでも元気なオトリのように扱うノウハウなど、素人の当方には、なるほどと思うようなノウハウが記載されている。とにかく、最初の野鮎をゲットするまでは、オトリを無理に引っ張らないことを決めていた。
人の顔が確認できないほどの暗さのなかで場所とりがはじまる。4時30分頃、いよいよ明るくなり、仕掛けの目印も認識できるようになる。下の写真が釣り始める頃のあたりの様子である。川の上流が堰堤。4時30分、釣りを開始。写真の手前の瀬の脇にオトリを送る。ジッとガマン。オトリが自ら動き出すまでジッとガマン。これが長い。まだ動かない。
3分ほどしてようやく動き始めtた。10分にも、15分にも思える時間だ、瀬脇の大きな石の下にある深みのある流れの緩やかな中に進んでいく。すると、キラキラキラッ。初ゲットと思って、竿をあげる。バラシである。ハリがグッと野鮎に刺さりこむまで待つ。バラして思い出す、ある日突然上手くなる鮎釣りの教訓本。
周りの人たちは、最初はなかなか竿があがらなかったものの、次第に掛かるようになる。自分も、再度同じオトリを送り込み、ゲット。15センチ前後の野鮎である。馬瀬川の鮎は、スイカの匂いがプーンとするのだが、まだ時期が早いのか、それほどしない。水温は14℃。長良川郡上の解禁日と否時である。
11時30までの間で移動したのは、上下あわせて30メートルほどである。ほとんど動いていないが、川の様子は、2メータもうごくと、随分と様子が変わっていることに驚いた。
9時30分頃、一旦、休憩を挟み、11時30分まで釣るも、根掛かりも多くなり、何人かの人たちが川からあがり始めた。それを機会に、当方も納竿とすることにした。
とにかく、眠むい。50歳代もあと数年ともなると、さすがにキツイものがある。無理をせず、釣りをたのしことに気持ちをシフトすることに。本日の釣果、19尾。
岐路、車に入っていた福山雅治のCDをガンガンかける。それでも睡魔が襲ってくる。東海北陸道の関サービスエリアで休憩。15分ほど、爆睡。