2020年1月26日日曜日

20200126 明日から雨日和なので

 明日から2・3日、雨が降るとの予報にて、追肥をすることにしました。
 不織布でトンネル保温して越冬を試みている野菜があり、まずは不織布を外してやります。このキャベツは、「彩音」という品種です。化成肥料「888」を追肥します。
そして、トンネルを半分ほど外して雨があたるようにします。


 下の写真は、正月菜です。一部収穫して間引いてやります。この野菜は、充分に大きくなっていますので、追肥はせず、雨があたるようにしてやります。


 一番手前の野菜は、菜花です。トンネルを外してやらなければ窮屈なほどです。



 間引いた正月菜です。



 下の写真は、収穫した菜花とベビーリーフです。ベビールーフは、本来、早くに収穫する必要がありますが、しっかりと大人に成長しています。




2020年1月25日土曜日

2020年1月22日水曜日

20200121 明後日は雨が降るとの予報にて

 昨年11月初め、ラッキョウを200粒ほど植えました。
 2年モノのラッキョウ育てようと掘らないままにしていた1年モノの株をバラして、一粒ずつ植えなおしたモノです。
 11月3日に植え替えた状況が、下の写真です。
 一向に成長していません。不織布をかけてやらなかったのが、いけなかったのでしょうか。草は生えてきているというのは、合点が行きません。
(2019年11月3日)

 ラッキョウの追肥についてネットで調べてみると、中間地域では9月下旬から12月初めまで追肥を行い、3月中旬にさらに追肥することが記されているものがあります。ちょっとした驚きでした。というのも、ラッキョウは、痩せた土地でも育つものなので、追肥は必要ないと理解していたからです。
 そこで、明後日は雨が降るというので、追肥をすることにしました。その前に、草を抜き取ります。この三つ葉のような草、実に根が豊かなのです。黄門様の髭のように豊で細かい根を張っています。



 



 追肥に用いたのは、普通化成肥料「888」と「ボカシ肥」を混ぜたものです。
 もう一つ、気がかりなことがあります。2年モノのラッキョウは、1年モノよりも小粒になると、何かで読んだことがあります。大きくならないのは、2年モノを苗として植えているからでしょうか。
 とりあえず、今年はこのまま育ててみることにします。
 
 ラッキョウの追肥のあと、隣の畝で育ていている天王寺カブとチンゲンサイ、それに少しばかりの菜花を収穫してきました。



2020年1月18日土曜日

2020年1月14日火曜日

20200114 夏みかんの木への寒肥

 明日、雨が降るとの天気予報なので、果樹に肥料を施すことにしました。
 わが家の畑には、みかんの木が1本、夏蜜柑が3本あります。
 この冬、みかんは不調でした。
 夏みかんは、実をつけていますが、ちょっと勢いがありません。



 昨年、まったく剪定していなかったのが、まずかったように思います。
 不調であったものの、シーズンが終わったみかんにはお礼肥を、夏みかんには寒肥(かんごえ)を施すことにしました。



 お礼肥と寒肥は、みかんの木の周りに溝を掘り、化学肥料(8・8・8)を3握り、米糠、発酵油かすです。



剪定については、別途、タイミングなどについて調べてみようと思います。

20200114 セイゴを頂きました

 昨年の夏以降、包丁の練習をしているのですが、なかなか上手くなりません。
 昨日、釣り同好会のTさんからセイゴ(スズキの子供、1・2年モノ)を10尾、頂戴しました。
 贅沢な話ですが、このセイゴを練習台に2種類に調理してみることにしました。
 一つが、以前、同好会のIさんに教えてもらったセイゴの刺身のコチジャン和え。
 あと一つが、一夜干し。これはTさんに教えてもらったモノですが、3枚下ろしした物を3%塩水で半日漬け、干すというもの。



 いずれも3枚下ろしにします。これが、なかなか上手くいきません。
 エラで手を切ったり、ヒレのトゲが刺さったりと、結構、スズキの捌きは危険なようです。そこで、捌く前に、エラ、ヒレのすべてを剪定バサミで切り落とすようしてしまいます。そのあと、ウロコを削ぎ落とします。
 下の写真は、10尾目、最後のモノなのですが、どうも美しくありません。



コチジャン和え

 次の写真をご覧いただくと、細身になっています。(笑)
 




細身の切り身をバーナーで炙り、刺身ぐらいの大きさに切ってやります。
別途、タレを調合します。コチジャン、ゴマ油、日本酒を混ぜます。



 切り身とタレを和えるだけですが、これが旨い。出来上がりは、以前、つくったモノよりもちょっと甘い感じでした。本来、赤味噌も混ぜる必要があったかもしれません。それでも、一昼夜、冷蔵庫で寝かせたところ、旨味が出ておいしさが増しました。食べた後に鼻から抜けるゴマ油の風味が、実に熱燗にビッタリです。

一夜干し

 3枚前の写真。真ん中の切り身は、白くなっています。Tさん曰く、「この時期のセイゴは白濁しているものがある、この時期のセイゴは卵をもつようになり、脂肪が卵にまわされ白濁する。」とのこと。
 だから、この時期のセイゴは、3枚下ろしにした切り身を3%塩水に半日間漬け、干して焼いて食べた方が、旨味が濃縮されて旨いということです。



 3%塩水に一晩漬けたあと、1時間真水で戻し、干してみました。早速に夕食で干した切り身を焼いて食卓にあげてもらいました。上品な味です、大満足です。
 課題は、包丁さばきです。



2020年1月10日金曜日

20200110 神崎川・円原川と明智光秀公の墓

 神崎川(かんざきがわ)は、釣りをはじめた頃に釣り同好会の人達に連れてきてもらったことのある川です。13年ほど前のことになります。
 神崎川は、岐阜市の北部に位置する山県市(やまがたし)内を流れ、下流域は武儀川となり、まもなく長良川本流に合流します。
 とにかく透明な川として有名です。
 今年は、この神崎川でも渓流釣りと鮎釣りをしてみようかと、下見を兼ねてドライブしてみました。
 武芸川から神崎川に入って間もなく、大きな観音様が見えてきます。立ち寄ってみました。「美山平和観音」とあり、1991年(平成3年)に地元の篤志家の方が建立されたようです。由来を記した石碑がありますが、墨が消えてしまっていて、世見辛くなっています。何でも、韓国で掘られたもののようです。
 観音様そのものの高さは8メートル、全体の高さは17メートルのようです。
 ご本体を掘り出す前に製作されたものなのでしょか、ミニチュア版も鎮座されています。
 


 



 神崎川を遡っていきます。車はすれ違うことができない道幅ですが、所々にスレ違いのために道幅を広げてあります。しかしながら、雪道では、要注意です。というのは、ガードレールない道が結構あります。
 神崎川を上流へと進んでいくと、支流の円原川(えんばらがわ)があります。細い道を川に沿って進んでいくと、下の写真のような伏流水の看板が現れます。
 原風景に似つかわしくない看板ですが、誰ともすれ違わない状況下、なぜか安心感を与えます。
 この看板を過ぎて橋が出てきますが、その橋を渡ったところにちょっとした集落がある様子でした。



 さらに進むと、同じような看板が再び現れ、次のような看板も立っています。






 川の土手から流れているのが、伏流水です。場所によっては、吹き出しているような状況です。
 この伏流水を20リットルタンクで汲んできました。

 円原川の水質について、山形市役所に確認したところ、丁寧に教えていただけました。自然の条件等により異なると思いますが、現時点(2020年1月)での状況は、概要、以下のような回答でしたので、ご参考までに情報の共有に供します。


   円原川は山県市美山地域上水道として利用されており、円原地内の水道関係施設において浄水され、住民の飲料水となっていること。
 ② 水道水として滅菌される前の「原水」は、水道施設付近で水質試験が実施されており、各項目において、水道水と同じ水質検査項目の基準をクリアしていること。
 ③   ミネラルウォーターの原水として利用される際の基準項目までは、確認していないこと。あくまでも水道水と同じ項目を確認できている状況であること。
 ④   硬度については、一般的においしい水はカルシウム・マグネシウム等、10~100㎎/Lとされているようであるが、円原川は120㎎/Lであること。
 ⑤  円原川の伏流水のポイントは、水道施設より約1キロ北上した位置であるが、こちら付近での検査を実施したものはないものの、おそらくさほど変わりはないと思料されること。
 ⑥  ただし、水道水のように滅菌されていない生水は、やはりそのまま口にするのは控え、一度、煮沸して利用した方が良いこと。

 なお、伏流水は石灰岩質の岩場から湧き出る水として透明度が高く、美しい水であるため、そのまま飲まれる方がいますが、たまにがぶがぶと飲まれてお腹を下す方もあるとのことにて、あくまでも自己責任で対応願い、ご注意願いたいとのことでした。
 市役所の方には、種々ご教示いただき、ありがとうございました。











 この円原側は、伏流水とともに「光芒(こうぼう)」の写真スポットとしても有名なようです。光芒は、後光のような木漏れ日といえばいいのでしょうか。
 光芒については、Yutoさんという方のブログをご参照ください。
 見事です。

サイト名:Nippon Photo Net
URL:https://nipponphoto.net/
ページ:岐阜の円原川で新緑と光芒を撮ってきた





 さて、神崎川・円原川を見て周り、帰路、明智光秀公のお墓があるというので、立ち寄ってみることにしました。
 まもなく、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」が始まります。
 明智光秀については、よくわかっていない部分が多いようです。この光秀公のお墓の由来は、山崎の合戦のあと竹槍で殺された光秀は影武者(荒木山城守行信)であり、本人は関ヶ原の合戦まで生き延びており、その本人のお墓だということであります。ただし、生き延びた光秀は、家康軍に加担すべく関ヶ原に向かったものの、途中、増水した川で溺れて死んだとされています。
 竹槍で刺されたにしても、溺死したにしても、光秀の最後は悲しいものとなっていますが、従来の光秀像とは異なる視点で描かれようとしている大河ドラマに期待したいものです。