富良野市平沢地区にて特製プリンを購入した後、一路、札幌に移動。約2時間。
札幌では、ホテルチェックイン前に、まずは羊ヶ丘のクラーク博士像を見学。
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(20220828 羊ヶ丘への坂道) |
次いで、樋口季一郎が建てたアッツ島玉砕将兵慰霊碑を訪ねました。この慰霊碑は、中央区旭ヶ丘1丁目の「常不軽寺」に建てられているのですが、このお寺が見つからないのです。お寺というと本堂を探すのですが、見当たりません。Google Mapで確認をするのですが、位置的には間違いありません。
すると、お寺のつくりは普通の民家のようです。また、その慰霊碑はその民家のようなお寺の玄関先にデーンと建っています。
樋口季一郎は、2万人のユダヤ人を救済し、キスカ島の日本兵5,000人の奇跡の無血撤退を指導し、ソ連の対日参戦に対する防衛戦を展開するなど、多大な功績があります。一方で、キスカ島からの撤退は、中央統帥部からのキスカ・アッツ両島の守備隊の玉砕方針に対して、樋口はアッツ島守備隊の玉砕と引き換えにキスカ島守備隊の撤退の了解を得た経緯があるようです。アッツ島の守備隊は2,400人を超える規模だったようなのですが、樋口はこの玉砕した日本将兵を弔うべく慰霊碑を建てたと承知しています。
しかしながら、その慰霊碑は、もっと広く慰霊したものであり、アッツ島玉砕将兵はもちろんのこと広く慰霊する碑だったのです。その碑文には、軍馬・軍犬も記載され、慰霊されています。感服しました。なお、慰霊碑の碑文は、次の通りでした。
戦死将兵戦死者
出征軍馬軍犬
ビルマ獨立義勇軍
緒霊位追善菩提」
どうも民家風のお寺も樋口の発願により建てられたようなのです。
賽銭箱が見当たりません。どこまで謙虚なのでしょうか。恐れ入ります。
樋口は、慰霊碑を建てるとともに、従軍画家が描いたアッツ島の絵を自宅に掲げ、終生、毎朝、手を合わせていたといいます。樋口の活躍がなければ、東西ドイツのように日本も分断されていたことは容易に想像できます。
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(20220828 大東亜戦争諸霊位追善菩提碑、その背後が常不軽寺) |
その後、ホテルにチェックイン。早速、富良野で購入した特製プリンをみんなで試食してみます。本来、1日ほど経過させたほうが良いらいしいので、まずは「試食」というわけです。なるほど、なるほどねなどと、値段を確認しつつ好評します。
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(20220828 特製エゾアムプリン 1) |
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(20220828 特製エゾアムプリン 2) |
ホテルからの夕陽を鑑賞し、「すすきの」繰り出します。
賑わっていました。この人たちも、GoTo事業を見込み違いした自分たちと同じ同類項の観光客に思えてしまいます。