きょう、岐阜各務原航空博物館の見学に行ってきました。
3日前の2月17日、H3ロケット試験機1号機が打ち上がらなかったことは、残念至極です。テレビ中継を観ていたのですが、「アレ、レっ・・・!?」という感じでした。
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(20230217 H3ロケット試験1号機打ち上がらず) |
打ち上げは、「失敗」だったのか、「中止」だったのかの議論があります。
当日のJAXA記者会見にて共同通信記者がJAXAの説明者に対して、「それを世間では失敗というんですよ、以上!」という発言をしていました。それは、ちょっと感情的すぎると思いますが、やはり今回は「失敗」というのがわかりやすいのではないかと思います。
主エンジンの燃焼が開始したものの、システムが異常を検知して、サブエンジンへの点火信号が送出されず、主エンジンの燃焼を途中で止めたというのがJAXA側の説明です。
システムが異常を感知して打ち上げを中止したということは、システムが異常を感知したこと自体は正常に機能したといえますが、システムが異常と判断された現象があったはずであり、その現象が発生したことは、やはり「失敗」だったと認めるべきであるように思われます。
JAXAは、「中止」としているわけですが、これは、次回、再チャレンジする際に1号機なのか2号機なのかという観点から、JAXAは1号機と位置付けたいということなのでしょうか。
打ち上げ期間は、予備期間も含めると3月9日まで余裕があるようで、1号機として打ち上げが成功すれば、失敗はなかったことになる?
失敗は失敗として検証し、次にステップアップしていくことこそ肝要であり、技術者の人たちも潔く、応援するわれわれ国民としても応援しやすいのではないかと思ったりするのです。
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(2015年11月11日、MRJ初飛行当日、三菱重工技報より) |
何かしら、さきのMSR(旧MRJ)プロジェクトの凍結・中止と同じ匂いを感じるのは、私だけでしょうか。
三菱重工業が、国産ジェット旅客機「三菱リージョナルジェット(MRJ)」事業を発表したのが2008年、リーマンショックの直前です。ちょうど、NHK朝ドラ「舞いあがれ」のIWAKURAがネジ工場を拡張した頃の時代背景です。
その後の内外経済は、リーマンショックで大変な時代であり、2010年早々にはJALが会社更生法を申請。さらに翌年(2011年)の3月11日、東日本大震災と原発事故が発生します。わが国の社会経済は、大混乱に陥ります。
そんな混乱が続く2015年、MRJが初飛行に成功します。
わが家から近い、愛知県の小牧空港での初飛行です。
当時、私はテレビ観戦していたのですが、まさに、三菱リージョナルジェット(MRJ)が、ミスター・ジャパン(MRJ)となったと、感動したものです。これで長いトンネルから抜け出せるような気もしました。
ところが、暫くMRJから目を離していたところ、いつの間にか、MRJが『MSJ 』に名称が変更されていました。MSJは三菱スペースジェットのことなのですが、ミスター・ジャパン(MRJ)がミズ・ジャパン(MSJ)となったとの思いがよぎったりしました。その頃は、確かに船や飛行機は女性人称だからと納得し、凛としたMSJの姿を思い描いていたのですが、2020年には事業の凍結が決まり、つい先日の2月7日、遂に事業の中止が発表されました。
事業撤退の要因は、いろいろあるようなのですが、要因の一つとしてコロナの世界的蔓延による旅客需要の低迷を挙げています。リーマンショックを乗り越えた事業だけに、残念でなりません。
私が、最もがっかりしたのは、主翼と胴体の接続部分に強度不足の欠陥があったことです。基礎的な部分での強度不足は、素人ながらショックでした。
どうする家康!、どうした日本の航空宇宙産業!
さてさて、航空宇宙博物館の話に戻ります。
同博物館では、展示スペースの配置換えが行われていました。F4-4EJ改431号機を展示する準備が進められていました。ちなみに、この戦闘機は、
2021年11月に航空自衛隊岐阜基地で引退機として展示されていたものです。
三菱重工でMSJ事業に携わった技術者は、日英伊3国で共同開発する次期戦闘機を担当する防衛部門に移動になるようです。共同開発は大変な面が多々あるのでしょうが、他国企業との共同開発においては問題の所在が明確に晒すされ切磋琢磨できるのではないかと、大いに期待しています。
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(2023年2月、F4-4EJ改431号機、空宙博HPより) |