新潟市内の豪農の館の庭でも見学したいとも思ったのですが、日の高いうちに岐阜県の白川郷近くの帰雲城跡を訪ねたいと、朝8時にホテルを出発。
北陸自動車道を西に。途中、上信越自動車の分岐点あたりで冠雪している高い山が見えましたが、懐かしの妙高山、黒姫山のはずなのですが、イメージより険しく高くそびえて見えたのには驚きました。名立谷浜サービスエリアに立ち寄り、地図を確認したのですが、間違いなく妙高山、黒姫山でした。妙高山の山頂は富士山のような台形だったように記憶していたのですが。このあと、有磯海(ありそうみ)サービスエリアで昼食、このサービスエリアは、行き帰りに立ち寄っています。この有磯海サービスエリアを過ぎたあたりから滑川(なめかわ)前後の立山連峰方面の景色はなかなかなものです。立山連峰を背景として手前の地域は緩やかな丘陵が広がっていて、ヨーロッパのどこかの風景といった感じがします。
小矢部砺波ジャンクションにて東海北陸自動車道に入ります。白川郷インターにて下車し、国道158号線を南下して行きます。約5キロほどの行った白川村保木脇(ほきわき)という集落の道路脇に帰雲城(かえりぐもじょう、きうんじょう)跡の記念碑があります。
この城は、天正13年11月(1585年、新暦では1586年1月)の大地震、「天正大地震」により城後方の山が崩壊し、雪崩、山津波により城や城下町が一夜にして埋没してしまいます。下の写真が当時の崩落跡です。写真では、どうもそのスケール感が伝わりませんが、最後に掲載しています、少し離れた道の駅「飛騨白山」からの写真の方がスケール感が伝わるように思われます。
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| (20211107 帰雲山の麓を流れる荘川の川床から運び上げた石) |
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| (20211107 荘川の川床から運び上げた石に浮かぶ人影?) |
天正大地震の当時の帰雲白の城主は、内ヶ嶋氏理(うちがしまうじよし)という戦国武将ですが、たいそうな財力を持っていたようです。城下には数百名は生活していたようで、生き残った者はこの土地を離れていた4名ほどであったと、何かで読んだことがあります。
飛騨は、金山が多く、江戸時代は天領地であったほどです。帰雲城の城主は4代続いたようですが、足利義政の銀閣寺、織田信長の安土城の築城の折にはかなりの財政支援をしていたようです。また、埋蔵金は5兆円とも推定され、テレビが埋蔵金発掘の番組を組んだほどです。
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| (20211107 道の駅「飛騨白川」から眺めた帰雲山) |
私自身は、この埋蔵金にも興味はありますが、帰雲(かえりくも・かえりぐも)という山の名前自体に関心を持っていました。その名を知ったのは、12・3年前でしょうか、釣りの同好会の人たちに白川郷の荘川でのアマゴ釣りに連れてきてもらった時だったように記憶しています。
秋田までの往復、1,800キロの帰り雲の旅となりました。