2021年11月19日金曜日

20211119 残りのサツマイモも収穫

 このところ、朝晩は冷えますが、日中は小春日和の毎日です。
 きょうは、休耕田と畑の未収穫のサツマイモを全て掘ることにしました。

 栽培中の芋のツルは、剥がすことが勧められていますが、剥がさなくても構わないとするコメントもあります。不精な当方としては、当然、後者です。
 葉を生い茂らせてはいけないとのコメントもあります。やはり、ツル返を行った方がよさそうです。

 イモのできている株、できていない株を比較すると、地表面に近いところがに芋が連なっている株はできが良いような気がします。

 今季、サツマイモを栽培してみて、思ったことは、以下のとおりです。
1.水捌けを良くするために畝は高めにする。
2.肥料は与えない。
3.苗の定植角度は鋭角にしない。
4.タイミングをみてツル返しをする。

 大きく育った芋に亀裂が入ったものがあります。これは、暑い日が続いたあと、大雨が降った年に起こりやすいようです。そのうえ、水捌けが悪い粘土質の田の栽培で生じやすいようです。

(20211119  休耕田、ツルを切り株元を残した状態)

(20211119  マルチシートを剥がした状態)
(20211119  収穫の差は、斜め植えと鋭角植えの違い?)
(20211119  休耕田のサツマイモには亀裂も)
(20211119   畑/鋭角植え?)
(20211119  畑/斜め植え?)

2021年11月18日木曜日

20211118 紅葉と四季桜

 きょうも、小春日和の一日でした。
 陽気に誘われて各務原市の「学びの森」に行ってみました。
 昔、このあたりには岐阜大学の農学部がありましたが、移転により、市民公園となっています。この学びの森も農学部の農場跡地だったと思います。

 ここには、イチョウ並木があります。

 2000年代の初めに韓国ドラマ「冬のソナタ」が大流行しましたが、そのドラマでも春川(チュンチョン)のイチョウ並木が有名になりました。各務原市はその春川市と姉妹都市の関係にあります。あの頃の韓流ブームは、いまの冷え切った日韓関係と比べれば、まさに隔世の感があります。今回、改めて通ったイチョウ並木も、こころなしか「アレっ、こんな小さな並木だった?」という感じです。もっと、立派な並木通りだったと思っていたのですが。

(20211118  「学びの森」1)
(20211118  「学びの森」2)
(20211118  「学びの森」のイチョウ並木1)
 かつては、「冬ソナストリート」と呼ばれていたイチョウ並木が、「各務原のメタセコイア」と呼ぶ人も多いとか。
(20211118  「学びの森」のイチョウ並木2)
(20211118  森の「遊び創造labo」)
(20211119   園内を横切る高山本線)
(20211119  高山本線と各務原線の間の楠木)
(20211119  高山線と並行して走る名古屋鉄道・各務原線)

 「学びの森」から高山本線、各務原線を渡ったところに、立派な四季桜が咲き誇っていました。
       線路沿い 春にも負けぬ 四季桜
    すぐ近くの新境川の堤には、春川市のイチョウ並木と同様に有名な桜並木があります。

2021年11月16日火曜日

20211116 サツマイモ掘り

  きょうは、小春日和でした。

 午後、1時間ほど、休耕田につくっていたサツマイモを半分ほど掘ってみました。先日の畑のサツマイモは、つるボケの大失敗でしたが、こちらは上手くできていました。6月の上旬に、紅はるか40本、安寧芋10本の苗を定植しましたので、先日のつるボケ分を含めて、ちょうど半分を収穫したことになります。




 1か月ほど新聞紙に包んで保管しておくか、冷蔵庫に入れておくと、甘味がますようです。

 ことしは、九州の方面をはじめサツマイモが不作だったようです。

 アラブ芋も、そろそろ収穫期ですので、サツマイモはちょっと保管したうえで、アラブ芋と一緒に配って歩こうかと思っています。

(20211116  収穫期が近づいたアラブ芋)


2021年11月14日日曜日

20211114 航空自衛隊岐阜基地の滑走路を闊歩

  きょうは、くもりぎみの晴れ、気温はダウンまでは必要ないものの、肌寒い感じでした。

 本日は、航空自衛隊の「岐阜基地開庁記念ランウェイウォーク2021」に参加。例年、この時期に航空祭が開催されていますが、武漢コロナの影響で昨年に引き続き航空祭は中止。その代わりのイベントして、参加人数限定のランウェイウォークが開催されています。

 この岐阜基地は、愛知県との県境の各務原市(かかみがはらし)にあります。基地そのものは、各務原台地に位置し、西の伊吹山(滋賀県との県境)に向かって東西に滑走路が敷かれています。地形的にも、台地にあって伊吹おろしに向かって離陸するということで、飛行場として好立地なようです。従って、国内の飛行場では最も古い歴史を有し、零戦の初飛行もこの飛行場で行われています。


(20211114  F-15のコックピット展示)

(20211114  F-15フライト映像を交えたパイロットによる機体作動展示)
(20211114  T-7(練習機))
(20211114 F-15 場外展示 1)
(20211114 F-15 場外展示 2)
(20211114 F-2 場外展示 )
(20211114 F-4 場外展示 )
 上の写真のF-4戦闘機は、50年間飛行してことしの3月に引退したとのこと。やりくりしてきた部品が、もう供給できなくなってしまったとのことです。戦闘機は、新規購入費用よりもメンテナンス費用が重要だということがよくわかります。
 先月、自衛隊員が食堂にてパンと納豆を多めにとったとかで10日間の停職処分されたというニュースが話題となっていました。
 50年間の部品のやりくり、満腹感のない定食など、話の端端に自衛隊の苦労を垣間見つつ、「大丈夫?」と思ってしまいます。
 防衛予算の増額はもちろんのことながら、まずは、わたしたち一般人としては、「自衛隊へのふるさと納税」を盛り上げていくのも一案かもしれません。
(20211114   T-4(ブルーインパルスと同機種)場外展示)
(20211114  C-1 場外展示)

(20211114  C-1 機内ウォークスルー展示)
(20211114 ペトリオット展示)




(20211114   F-4EJ改 滑走路展示) 


 本日の参加者は5,000人とのことですが、若い人や家族連れが多かったような印象。ゴミ箱の設置もされていないなかペットボトル等のゴミもなく、整然としたイベントだったように思います。

2021年11月12日金曜日

20211112 ニンニクの雑草取りと追肥

  一昨日(9日)の午前中に雨が降り、昨日からは晴れ渡ったものの気温はグンと低くなりました。

 そろそろニンニクに追肥をするタイミングのようなので、雑草取りと追肥をしました。追肥は、化学肥料「8・8・8」です。化学肥料と動物性有機肥料は、使わない方針にしたのですが、残っていたオール8をここで使用することにしました。

(20211112  ニンニクの生育状況 1)
(20211112  ニンニクの生育状況 2)

(20211112  雑草処理後のニンニクの生育状況 )」

 なお、きょうの15:00 頃、各務原市(かかみがはらし)内にて二重の虹が出たとのことにて、息子より送信してもらいました。

2021年11月10日水曜日

20211109 タマネギ苗の定植

  昨夜から今朝にかけて、結構な雨が降りました。

 時期的にも、雨が降ったあとというタイミングも、タマネギの苗を定植するのに好都合です。早速に、ケルたま・晩生種の苗300本を植えました。

 前回、立派な苗を植えたこともあり、トウ立ちしてしまった経緯があります。そこで、今回は、小さめの苗を買い求め、20センチほどに切り揃え、根も短く切り揃えて見ました。定植したあとは、薫炭ボカシ肥を薄ら、撒いておきました。





2021年11月7日日曜日

20211107 飛騨白川郷・帰雲城跡を訪ねて

   新潟市内の豪農の館の庭でも見学したいとも思ったのですが、日の高いうちに岐阜県の白川郷近くの帰雲城跡を訪ねたいと、朝8時にホテルを出発。

 北陸自動車道を西に。途中、上信越自動車の分岐点あたりで冠雪している高い山が見えましたが、懐かしの妙高山、黒姫山のはずなのですが、イメージより険しく高くそびえて見えたのには驚きました。名立谷浜サービスエリアに立ち寄り、地図を確認したのですが、間違いなく妙高山、黒姫山でした。妙高山の山頂は富士山のような台形だったように記憶していたのですが。このあと、有磯海(ありそうみ)サービスエリアで昼食、このサービスエリアは、行き帰りに立ち寄っています。この有磯海サービスエリアを過ぎたあたりから滑川(なめかわ)前後の立山連峰方面の景色はなかなかなものです。立山連峰を背景として手前の地域は緩やかな丘陵が広がっていて、ヨーロッパのどこかの風景といった感じがします。

 小矢部砺波ジャンクションにて東海北陸自動車道に入ります。白川郷インターにて下車し、国道158号線を南下して行きます。約5キロほどの行った白川村保木脇(ほきわき)という集落の道路脇に帰雲城(かえりぐもじょう、きうんじょう)跡の記念碑があります。

 この城は、天正13年11月(1585年、新暦では1586年1月)の大地震、「天正大地震」により城後方の山が崩壊し、雪崩、山津波により城や城下町が一夜にして埋没してしまいます。下の写真が当時の崩落跡です。写真では、どうもそのスケール感が伝わりませんが、最後に掲載しています、少し離れた道の駅「飛騨白山」からの写真の方がスケール感が伝わるように思われます。




(20211107  帰雲山の麓を流れる荘川の川床から運び上げた石)

(20211107  荘川の川床から運び上げた石に浮かぶ人影?)



 天正大地震の当時の帰雲白の城主は、内ヶ嶋氏理(うちがしまうじよし)という戦国武将ですが、たいそうな財力を持っていたようです。城下には数百名は生活していたようで、生き残った者はこの土地を離れていた4名ほどであったと、何かで読んだことがあります。
 飛騨は、金山が多く、江戸時代は天領地であったほどです。帰雲城の城主は4代続いたようですが、足利義政の銀閣寺、織田信長の安土城の築城の折にはかなりの財政支援をしていたようです。また、埋蔵金は5兆円とも推定され、テレビが埋蔵金発掘の番組を組んだほどです。

(20211107  道の駅「飛騨白川」から眺めた帰雲山)
 私自身は、この埋蔵金にも興味はありますが、帰雲(かえりくも・かえりぐも)という山の名前自体に関心を持っていました。その名を知ったのは、12・3年前でしょうか、釣りの同好会の人たちに白川郷の荘川でのアマゴ釣りに連れてきてもらった時だったように記憶しています。
 秋田までの往復、1,800キロの帰り雲の旅となりました。