2008年10月11日土曜日
杉原千畝とその夫人のこと
千畝は、すでに逝去(昭和61年)している。この8日に幸子夫人が97歳で亡くなったとの記事が、本日の新聞に掲載されいる。
千畝は、わが岐阜県が誇る人物のひとりである。
千畝は、わが家から東に車で1時間足らずのところにある八百津町の生まれである。
家族で横浜から岐阜に戻った折、おそらく7年ほど前、子どもたちを連れて八百津町を訪ねたことがある。杉原千畝の偉業を記念して「人道の丘」がつくられ、そこに記念館も建てられている。
何年か前、TVドラマで反町隆史主演にて「6000人の命のビザ」(?)とか題して放映されたことがある。子どもたちに尋ねたところ、「人道の丘」に行ったことは、はっきりとは覚えていなかった。この番組みは、飯島直子が夫人役を演じており、幸子夫人著「六千人の命のビザ」をふまえてドラマ化されたものだったように思う。
そのドラマが放映される何年か前、ヒレル・レビン著「千畝―1万人の命を救った外交官杉原千畝の謎」(清水書院)を本屋で偶然に見つけ読んだことがある。
その本は、千畝の偉業は偉業としつつも、千畝のスパイ説、千畝の前妻・クラウティアへのインタビューの内容を紹介するとともに、幸子夫人にも冷たい視線が注がれていた。
そのTVドラマを観ながら、「この奥さんのことは、美化しすぎているという人もある。」などと、子どもたちに話したことがある。それは、随分と分厚いその本をふまえてのことであった。
あとから知ったことであるが、この本をめぐってはいろいろな議論があるようだ。
翻訳の問題、捏造等々、反論もかなり出ている。
遺族の名誉がかなり傷つけられたようだ。
そういう意味で、わたしも名誉を傷つけてしまった一人である。
本日の記事を見て、そのことが思い出された。
子どもたちは、テレビを観ながらそんな話を父親がしたことなど、覚えていないと言うかもしれない。それでも、書いて置かなければと思った次第。
杉原千畝の名誉回復は、驚くほどつい最近のことである。
あの鈴木宗雄議員の尽力によるところ大のようだ。
2008年9月28日日曜日
寒川神社
ゴルフ場は、JR東海道線の「二宮」駅である。きょうは、ハナから、横浜に戻る途中にの寒川神社(さむかわじんじゃ)に立ち寄ることにしていた。JR東海道線の「茅ヶ崎」駅にて相模線に乗り換えて近いことは承知していた。家族にて横浜住まいをしていたころから、毎年、寒川神社への参拝はを欠かさなかったものだ。
13年近く前に家族4人と甥の5人が、車で岐阜に帰郷。甥は、大学を卒業して郷里に就職するためにわが家の車にて一緒に帰郷したというわけである。その帰路、みんなでこの寒川神社に参拝したことが、つい先日のように思い出された。
当時、本殿は工事中であったが、いまや立派な本殿が完成している。平成9年に竣工したようだ。
その集団帰郷が、私の逆単身赴任のスタートの日でもあった。
ここ、相模国一之宮寒川神社は、「八方除」で有名である。
この日、ひとりの女性が、熱心に宮司さんにこの神社のことを尋ねていたのが印象的であった。
きょうは、一人での参拝である。JR相模線にて「寒川」駅にて下車してしまった。下車してから、駅を間違えたことに気づいた。「寒川」駅からは、循環バスを利用して神社にたどり着いた。
帰路は、「宮山」駅から乗車。そう、ここは寒川駅で下車してはいけない。寒川神社の最寄駅は「宮山」駅です。
横浜の一人住まいに戻って、郷里の家族に寒川神社に行ってきたことを報告。
2008年9月23日火曜日
長良川への釣行(千疋大橋)
橋の上流には5人ほどの先行者がありますが、広さは十分すぎるこどです。上流の採石工場の前にあたりにあるチャラ瀬に向かいます。チャラ瀬の尻に入ります。前回、調子の良かった例のブロックの前ですが、水位の関係でとても対岸には近づけません。川幅の中間くらいのとこでスタートします。
スタートして2・3分で15センチほどの野鮎が掛かりました。これをオトリに交換して放してやると、オトリが流芯に向かう途中で強いアタリがきました。流れもあり、なかなか水面に上がってきません。竿は大きく弧を描きます。下竿になってしまいました。これ以上、頑張ると野鮎が身切れするのでなないかと心配になります。やや、岸に移動しながら、竿をさらに曲げます。ようやく水面から上がりました。水面から上がると、スッポ抜けるようにオトリと野鮎が自分の方に飛んできます。顔の前でキャッチです。タモの水滴が偏向グラスや顔にかかります。ヒンヤリとします。
今シーズンのラストを華々しく飾れるような予感がするスタートでした。
が、しかし、ところが、残念ながら、例によって、いつものパターンながら、後が続きません。
暫くして、チャラ瀬の先行者が、ヘチのところで連荘です。しかも、サイズは結構な大きさです。「高水時は、川幅が広いチャラ瀬のヘチ」、そう、確かに名人の解説書で読んだことがある。流芯は、増水時にコケが洗い落とされてしまう。石にコケがつきはじめるのが、陽がよく届く浅瀬からだというわけである。試しに足元の石を足で撫でてみる。ウ~ン、確かに、ぬめりがあまり感じられない。
ということで、チャラ瀬の瀬肩に移動。今シーズン、自分ながらに成長したなと思う部分は、移動をするようになったことである。従来は、釣れても釣れなくても、同じポイントにジッとしていることが多かったように思います。
移動した先は、下の写真のチャラ瀬の先に薄っすらと波のない鏡のような水面が見えますが、そのポイトです。水位は膝ほどです。正午を過ぎたころであり、「昼トロ」といわれるポイントに近い状況です。野鮎が、ポニョッ、ポニョッと跳ねています。先行者は、昼食のため上がってしまい、独占状態です。
早速、新規一転、再スタートです。ここで掛からなくては、とい流れのヨレにオトリが入ります。気持ちよく、目印が走ります。魚信も竿に伝わってきます。やや小ぶりではありますが、オトリ頃です。オトリを交換して、出陣。チビ鮎のため、少しばかり下流に流されて流芯に向かおうとするところで、ゴッツ~ッと強いアタリ。これは大きいぞ。なかなか上がってきません。チャラ瀬でも、少しばかり流れも強いので、そのせいもあります。こちらに飛んできます。大きいぞ。キャッチもうまくいきました。
今度は、大き目の野鮎をオトリにてさらに出陣。チャラ瀬の瀬肩からやや中に入ります。オトリはグングンと中央に向かっていきます。ガッツ~ン、連荘です。最終日に相応しい状況になってきました。
さきほどより、竿が曲がります。オトリが水面から顔出し、野鮎はなかなか顔を出しません。岸側に誘導しながら、慎重に竿をあげていきます。ようやく出てきました。
空中輸送です。ソローモーションがかかったかのように2尾の鮎が飛んでくるのが確認できます。
と、。私の釣行記には「と、?」が多すぎるのですが、まさに、「と?」、上下2尾の鮎のうち、上の鮎が「ポトン」と落ちたのです。
身切れ?、ハリが外れた?
1尾をタモに入れてみると、タモに入ったのは野鮎です。きれいに背掛かりです。落ちたのは、オトリです。エッ~!?何だ? 上の鮎が落ちたのだと確認できたのは、その時です。
鮎の鼻が切れた?
違いました。鼻カンがありません。鼻菅の仕掛け糸が解けて、鼻菅ごとリリースされたわけです。瞬間接着剤のつけ方がまずかったようです。
てな具合で、15:00。携帯電話のタイマーが時間の終了を告げます。
釣果は、9尾。あの鼻カン付リリース鮎があれば、ちょうど10尾、「ツ抜け」で終了だったところですが、課題を残しつつ「9尾」にて今シーズンは幕です。課題はナントといっても、仕掛けづくりです。
