2009年6月17日水曜日

丹羽文雄「鮎」を読んで

講談社・文芸文庫、丹羽文雄短編集「鮎 母の日 妻」を読んでみた。アマゾンで取り寄せた一冊である。

手にして驚いた。たかだか300ページ足らずの文庫本が、1470円なのである。ネットでよさそうなものをポンポンと選んでしまったことを後悔。

まず、「鮎」の短編を読む。分からない。内容が理解できないのである。鮎釣りの話が出てくるわけではない。母親の和緒、その息子の津田、母親を世話する旦那の守山の話なのである。舞台は岐阜。母・息子が鮎の魚田を食べるシーンがほんのチラリと登場する。それが「鮎」という短編であり、丹羽文雄が文壇で注目されるようになった一作だというのである。

さっぱり頭に入ってこない。

鮎・母の日・妻―丹羽文雄短篇集 (講談社文芸文庫 (にB1))

それは、酒を飲んでの帰宅途中だったからというわけでもない。

もう一度、読み返してみて、母親と息子、旦那の話だったのかということが分かる。

二度、読まなくはならない。だから、本代も二度読み価格となっている。変に納得してしまう。

守山が自殺をしてしまう。その葬儀には和緒は出ることができず、葬列を自宅の二階から息子と見送る。そんなことがあって、突然、和緒は「魚鉄」へいこうと息子を誘う。その魚鉄は、和緒が守山の世話を受けることを決めた割烹であるが、そこの自慢は鮎ではない。うなぎである。

息子は、母親が守山との思い出の場として誘ったのか、ただ単にうなぎが食べたかったのだろうかと思い巡らすが、うなぎを食べたいだけの移り気な母親に思いをいたすというお話である。

丹羽文雄の小説には、そうしたちょっと妖艶で身勝手な母親がよく登場する。

鮎シーズン開幕の意気が、なんだかナゲてしまった。

うなぎでも食べるか!

2009年6月16日火曜日

夢枕 獏 「鮎師」を読んで

鮎の友釣りが解禁となっている。シーズン開幕を受けて自分のモードをあげておこうと、アマゾンで「鮎」を検索して何冊の本を取り寄せた。

その一冊が夢枕 獏 著「鮎師」である。

舞台は、小田原市の早川である。早川は、箱根の芦ノ湖から小田原市を流れて相模湾に注ぐ、2級河川である。作者自身が小田原出身であり、本人も鮎釣りに夢中だったことは小説を読んでいて容易に伝わってくる。

主人公は、市内でカメラ店を営む菊村。鮎の[ちんちん釣り]をたのしむ一釣り人である。それが、川底の石に巨大な鮎のハミ跡を見つけて、その巨大鮎を追い求めるというストーリーであるが、その巨大鮎を狙い続けている黒淵という男の存在が絡み合ってくる。

鮎師 (文春文庫)

巨大鮎の大きさは、60センチを超えるモノで、小説の表現を借りれば「人間でいえば4メートル」というスケールになる。鮎は年魚である。従って、現実では30センチを超える鮎とうのは、なかなか拝めない。その巨大鮎は、5・6年の年越しをしている想定である。

ちんちん釣りというのは、ドブ釣りのことかと思っていたが、ドブ釣りというものとも違うようである。このあと、「陰鍼」というのが登場する。最後には、このちんちん釣りと陰鍼を組み合わせたとようなことにあるのだが、読み物として面白かった。

鮎は、なぜか巨大鮎を求めていくストーリーが多いようだ。2年ほど前だったかに、花見正樹著「巨鮎に憑かれた男たち」(つり人社)を読んだことがある。バイオ鮎の話であったが、九州は球磨川の巨鮎の話だったようにも思うのだが、「鮎師」にもある琵琶湖での巨鮎の試験飼育の話とダブっていたようにも思うんだが、混乱している。いずれにしても、巨鮎の話が取り上げやすのだろうか。

大きな鮎といえば、自分の経験では富山県の小矢部川の鮎である。ヤマメのようなマルマルとした鮎であった。あれは4・5年ほど前になるだろうか。実に面白かった。

2009年6月14日日曜日

野沢 尚 「反乱のボヤージュ」を読んで

野沢 尚の「反乱のボヤージュ」(集英社文庫)を読んだ。

坂下薫平(さかしたくんぺい)という医学生が学生寮で経験する人間ドラマである。小説のなかで出てくる時代背景は、いまこの時代である。「ゆず」とかという二人組みの名前も出てきたりもしている。しかしながら、ストーリーの展開はまったく1975年前後とかぶる。野沢自身は、1960年生まれというから円高不況といわれた時代が背景にあるのかもしれないが、自分の学生時代が思い出された。

自分が大学に入学した頃は、学生運動のピークを過ぎたあたりであった。それでも、構内には独特の自体で書かれたたて看板が並び、校門近くでは「我々はぁー!・・・」とメガフォンを片手に学生に訴えている活動家がいることが、日常であった。お陰で大学の授業料はたいそう安く、そのせいかどうかは別として、授業のボイコットも結構あった。活動家に囲まれて、自己批判を強要される教授陣もあった。挙句には、テストもボイコットされることがよくあり、テストがレポート提出に振り代えられることが多かった。そんな環境のなかで、友人への麻雀での負けをレポートの代筆で帳消しにしてもらったり、随分、勉強もした?時代でもあった。

自分が薫平のような立場にいたというわけではない。むしろ、それを傍観していた側の学生であった。しかしながら、友人や知り合い連中には、ヘルメットを被っている者もいた。ウチゲバで友人が下宿に逃げ込んできたこともある。一度は、デモに参加したこともある。頭をあげてデモっていたため、リーダーのような学生に頭を下げろ、写真を撮られるぞと怒鳴られたことがある。あのデモの時、ちょっと感動のようなものがあったことも覚えている。

クラブ活動の大学の支援金の配分を学生組織が行っていて、デモに参加して予算配分を受ける実績づくりということもあっての参加だった。だから、動機は不純であり、自分は学生運動には傍観者側の学生であった。

小説の弦巻寮という首都大学の学生寮は、大学側の意向により取り壊されることが決定するのだが、例によって寮の自治と人間模様が絡んですストーリー展開していく。ここで、ちょと不思議な人物が登場する。名倉という、大学側から送られてきた舎監である。彼は、浅間山荘事件のときの機動隊のひとりであったという経歴を持っている。

「反乱のボヤージュ」というタイトルにあるように、寮生たちが精神的に成長していく過程が描かれている。

野沢 尚 の小説は、これ以外には「恋愛時代」を読んだ。これは、韓国のドラマをネットで観て原作を読んでみたくなったのであるが、自分の懐かしい20才前後に思いを馳せさせてくれる小説である。

ちょっと、一休みして読んでみたい小説である。