2012年8月26日日曜日

シュリーマン旅行記清国・日本


「シュリーマン旅行記清国・日本」(講談社学術文庫)を読んだ。

  ある交流会で「夢とロマンで産業の未来をー園芸よもやま話」と題して鈴木邦彦氏から話を聞く機会があった。鈴木氏は、園芸の素晴らしさを実にたのしそうに話された。話のなかで、シュリーマンが旅行記に幕末の日本人が日常生活においていかに園芸をたのしんでいたかが紹介されているとの話をされた。

 外国人が見た幕末から明治の時代については、以前、アーネスト・サトウの「一外交官の見た明治維新」(岩波文庫)とロバート・フォーチュンの「幕末日本探訪記」(講談社学術文庫)を読んだことがある。後者の探訪記は、日本では、長崎、横浜、江戸、隅田川界隈の下町などを回り、そのあと中国・北京を訪問する旅行記である。フォーチュンは園芸植物の専門家の立場から、幕末当時の日本を描写している。本のなかでは、多くを日本の記述が占めていた。それほど、書き留めておくべき感動があった証左である。彼も、日本の庶民が草花を植え込んだ小庭のことを褒め、花を愛することが文化の水準であれば、日本人は英国人よりも文化水準が高いというようなことを書いていた。

 イングリッシュ・ガーデンは、そもそもの発想が日本の庭にあるということを読んだことがある。

 だから、園芸家である鈴木氏が、同じ園芸家でしかも英国人のロバート・フォーチュンではなく、シュリーマンの本を紹介したことが意外であった。そこで、
ハインリッヒ・シュリーマンの「シュリーマン旅行記清国・日本」(講談社学術文庫)を読んでみようと思った。
シュリーマン旅行記 清国・日本 (講談社学術文庫 (1325))

 シュリーマンは、園芸家ではなかった。ドイツ人でロジアでの商売で富をを得て世界旅行に出て1865年に中国・清に続いて日本を訪問し、3カ月間の滞在記である。この人は、とくかく好奇心旺盛で積極的な人であり、のちにギリシアでトロイア遺跡を発見した人でもあるようだ。

 旅行記には、モノの寸法や金額が事細かに記載されている。この旅行記でも日本の簡素ななかに威厳のある文化、混浴風呂と清潔な日本人、仏像と花魁を並べる寛容さ、袖の下を受け取らない役人、無駄のない畳の生活、小庭をたのしむ豊かな国民性を強調している。

 そして、最後の「日本文明論」のなかでキリスト教を判断基準にしなければ日本は高度な文明国であり、ヨーロッパ以上に教育がいきわたっていると評している。清国と対照的な印象記となっている。     鈴木氏が、シュリーマンを紹介したのは、案外、政治・外交・経済・社会が行き詰った感のある日本にあって、日本人に元気を自信を取り戻してもらいたかったからかも知れない。
 確かに、何だか自信が湧く、本なのだ。

2012年8月17日金曜日

長良川・美並&大和地区への釣行

2日前の雨による増水の影響が残っている。水は、笹にごり程度であるが、美並地区の福野農道橋のあたりは、40センチほど増水している。
お盆あけの折角の平日休暇である。盆休暇中とは異なり、釣り人は少なかろうと、10:00、長良川の美並地区に釣行したというわけである。


上の写真は、農道橋の上流側である。
いつもの橋の下でも竿を出してみたが、まったく反応がなく、写真の上流に移動。
ググッと、竿が下流にもっていかれ、これは大きいぞと思いきや、ナント、ウグイ。これまた、下の写真のとおり、デカイ!
しかし、招かざる客。すぐにリリースしたものの、タモにはウグイの臭いがついてしまった。
それでも、ここで小さい野鮎が2尾。

昼近くになって師匠のIさんより携帯電話は入った。
上流部は平水だから、大和地区まで移動した方がよいとの、アドバイスであった。
てなわけで、暫くして美並インターから東海北陸道を北上、大和インターに長良川に。河西橋の上流の移動、例年、ヤナが設置される上のプール状の御料場に入川。
Iさんの情報のとおり、ここは平水である。水温は、19度。


ここでは、竿をシマノ・バーサトル85-90からシマノ・リミッテッド95に変更。
錨ハリは、「一角」の7.5号である。
すると、反応は大きくないものの、のそっと、竿がまわり重くなります。引き寄せると、結構、重い野鮎です。写真に収めるのが、それすが、20センチ弱でした。

ここでは、4尾を追加しましたが、15:00、納竿。
というのも、すごい雷がいよいよ近づいてきたものだから、やむを得ません。