「シュリーマン旅行記清国・日本」(講談社学術文庫)を読んだ。
ある交流会で「夢とロマンで産業の未来をー園芸よもやま話」と題して鈴木邦彦氏から話を聞く機会があった。鈴木氏は、園芸の素晴らしさを実にたのしそうに話された。話のなかで、シュリーマンが旅行記に幕末の日本人が日常生活においていかに園芸をたのしんでいたかが紹介されているとの話をされた。
外国人が見た幕末から明治の時代については、以前、アーネスト・サトウの「一外交官の見た明治維新」(岩波文庫)とロバート・フォーチュンの「幕末日本探訪記」(講談社学術文庫)を読んだことがある。後者の探訪記は、日本では、長崎、横浜、江戸、隅田川界隈の下町などを回り、そのあと中国・北京を訪問する旅行記である。フォーチュンは園芸植物の専門家の立場から、幕末当時の日本を描写している。本のなかでは、多くを日本の記述が占めていた。それほど、書き留めておくべき感動があった証左である。彼も、日本の庶民が草花を植え込んだ小庭のことを褒め、花を愛することが文化の水準であれば、日本人は英国人よりも文化水準が高いというようなことを書いていた。
イングリッシュ・ガーデンは、そもそもの発想が日本の庭にあるということを読んだことがある。
だから、園芸家である鈴木氏が、同じ園芸家でしかも英国人のロバート・フォーチュンではなく、シュリーマンの本を紹介したことが意外であった。そこで、
ハインリッヒ・シュリーマンの「シュリーマン旅行記清国・日本」(講談社学術文庫)を読んでみようと思った。
シュリーマンは、園芸家ではなかった。ドイツ人でロジアでの商売で富をを得て世界旅行に出て1865年に中国・清に続いて日本を訪問し、3カ月間の滞在記である。この人は、とくかく好奇心旺盛で積極的な人であり、のちにギリシアでトロイア遺跡を発見した人でもあるようだ。
旅行記には、モノの寸法や金額が事細かに記載されている。この旅行記でも日本の簡素ななかに威厳のある文化、混浴風呂と清潔な日本人、仏像と花魁を並べる寛容さ、袖の下を受け取らない役人、無駄のない畳の生活、小庭をたのしむ豊かな国民性を強調している。
そして、最後の「日本文明論」のなかでキリスト教を判断基準にしなければ日本は高度な文明国であり、ヨーロッパ以上に教育がいきわたっていると評している。清国と対照的な印象記となっている。 鈴木氏が、シュリーマンを紹介したのは、案外、政治・外交・経済・社会が行き詰った感のある日本にあって、日本人に元気を自信を取り戻してもらいたかったからかも知れない。
確かに、何だか自信が湧く、本なのだ。