2021年6月9日水曜日

20210609 ニンジンの収穫と

  今年の岐阜県美濃地方の梅雨入りは、5月16日でした。

 例年より21日早い梅雨入りでした。この影響は、アチコチに出てくるに違いありません。





 タマネギを収穫した後の畝には、サツマイモを入れようかと思っています。


 スイカ床にワラを敷きましたが、1本の苗が枯れかけていて、水をたっぷり与えて様子眺めです。

 先月17日、アブラムシなどの病害虫対策として、噴霧用の原液を仕込んでおきました。酢に鷹の爪、ニンニクを刻んで漬け込んでおきました。これを500倍に希釈して夏野菜に噴霧します。



2021年6月5日土曜日

20210605 さつま芋苗の植え付け

  昨日は、終日、雨でした。

 さつま芋「紅はるか」40本、「安寧芋」10本を植えることにしました。昨年、紅はるかが好評でしたので、本会は昨年の倍にしました。

 苗の植え付け感覚は、30センチです。植え付けは、斜め10センチの差込です。
 畑の植え付け場所は、タマネギの収穫したあとに畝を立てましたが、畝を立てる際に米糠をスキ込み、2週間ほど経過させています。こちらは、紅はるか20本です。
 田んぼでの植え付けは、ジャガイモ「男爵芋」の収穫後の畝を耕耘しましたが、こちらは米糠などの肥料はスキ込んでいません。さつま芋は肥料が多いと、ツルボケをするそうですので、マルチを張るだけにしました。こちらは、紅はるか20本と安寧芋10本を定植しようと思います。
(20210605  紅はるかの植え付け)

(20210605  スイカの状況)

(20210605  アラブ芋の生育状況)」

(20210605 サトイモの生育状況)

(20210605  男爵芋の収穫跡)

(20210605   男爵芋の収穫後のサツマイモ用の畝)
(注)雨が降ったすぐ後の耕運は、してはいけないらしい。土壌がこねられて粘度状になって密になってしまうとのこと。握ると団子になり、指で押すと崩れる程度、ボカシ肥料を作るときの水分量がいいらしい。

2021年6月3日木曜日

20210603 岩村城跡を訪ねて

 5月下旬の奥美濃ドライブに引き続き、女性陣2人のお供で東濃・恵那をドライブしました。
 岐阜県は、南の美濃地方と北の飛騨地方に分かれ、美濃地方は西から東へ西濃、中濃、東濃に分かれます。奥美濃は、中濃の飛騨寄りになります。
 
 今回、訪れたのは、次のとおりです。

 道の駅「おばあちゃん市・山岡」
 岩村城跡
 岩村城下町
 農村景観日本一展望所
 中山道広重美術館
 
(20210603  道の駅/おばあちゃん市・山岡)

(20210603  日本一の木製水車・直径24メートル、日本一らしい) 
(20210603  道の駅/おばあちゃん市での定食)


(20210605  岩村城跡 1)

(20210605  岩村城跡 2)
(20210605  岩村城跡 3)
(20210605  岩村城跡 4)
(20210605  岩村城跡 5)

(20210605  岩村城跡 6)
(20210605  岩村城跡 7)
(20210605  岩村城跡 8)
(20210605  岩村城跡 9)
(20210605  岩村城跡 10)

 岩村城は、元々は源頼朝の家臣が築いた城のようですが、援軍を待ちわびた悲劇の城です。
 戦国時代の末期、岩村城主は遠山景任(かげとう)、その妻は織田信長の叔母・「お艶(つや)の方」。ふたりには嫡子がないまま城主が病死したため、信長の五男(御坊丸・ごぼうまる)を養子に迎えますが、まだ幼かったため実質的な城主となったのがお艶の方。このため、女城主と言われたとのことです(NHK大河の「おんな城主 直虎」も同時期の井伊家の話ですが、岩村城とは違います)。
 武田信玄の西方作戦のもと配下の武将(秋山虎繁)に攻撃されます。女城主は、信長に援軍を要請しますが、(長島一揆への対応のため)信長からの援軍がやってきません。とうとう、女城主が武田側武将の妻になることを条件に開城します。御坊丸は嫡子として岩村城にとどまる条件でしたが、武田の人質として甲府に送られてしまいます。それに怒った信長は岩村城を攻めます。武田側城主は武田に援軍を要請しますが、援軍はやってきません。結局、武田側武将の城主と信長の叔母は、信長によって長良川の川原で逆さ張りつけに処されます。
 その後の御坊丸を調べてみると、武田信玄の死後、信長に戻されます。そして、犬山城主になりますが、最後は本能寺の変にて明智光秀によって討ち死にします。20歳ぐらいだったようです。
 明智光秀の居城・明智城は、岩村城から南に10キロ足らずの近さです。

(20210605 岩村城下町 1)

(20210605 岩村城下町 2)
(20210605 岩村城下町 3)

(20210605 岩村城下町 4)
(20210605 岩村城下町 5)
 岩村城の城下町では、岩村醸造店でお酒「女城主」を購入し、酒店の前にある松浦軒本店では南蛮渡来のカステーラを購入。そのあと、木村邸を見学。
 
 岩村町発行の「いわむら観光マップ」では、岩村出身の偉人として、佐藤一斎(幕末の儒学書)、下田歌子(実践女子学園創設者)、三好 学(植物学者)が紹介されています。
 下田歌子は、イギリスのヴィクトリア女王に平安朝の女官装束で謁見し、その凛とした姿に女王も関心を寄せ、親しく日本を取り巻く情勢について懇談したとのことのようで、日英同盟の影の立役者とも言われる人です。
    町のパンフレットでは紹介されていませんが、大島 浩 も岩村町出身です。この人は、日独伊三国同盟の立役者として知られております。駐独日本大使を二度務め、ヒトラーからの信頼も厚かったようですが、敗戦後のいわゆる東京裁判では、A級戦犯・終身刑となっています。その後、減刑され出獄しているのですが、一度、テレビインタビューに応じたものの、あとは多くを語らず亡くなっています。
 この岩村町から北西に20キロ足らずで八百津町(やおつちょう)に入ります。ここは、6,000人のユダヤ人を救った命のビザで有名な杉原千畝(すぎはら ちうね)の出身地です。

(20210605  農村景観日本一の展望 1)

(20210605  農村景観日本一の展望 2)
(20210605  農村景観日本一の展望 3)
(20210605  農村景観日本一の展望 4)
(20210605  農村景観日本一の展望 5)
(20210605  農村景観日本一の展望 6)
(20210605  農村景観日本一の展望 7)
(20210605  農村景観日本一展望所の内部)
 いずれにしても、多くの有能な人材を輩出した岩村町です。その才能を育んだ背景には、日本一の農村の景観があったに違いまりません。この「景観」という言葉を最初に用いたのが、前述の 三好 学 という偉人だそうです。