2021年11月10日水曜日

20211109 タマネギ苗の定植

  昨夜から今朝にかけて、結構な雨が降りました。

 時期的にも、雨が降ったあとというタイミングも、タマネギの苗を定植するのに好都合です。早速に、ケルたま・晩生種の苗300本を植えました。

 前回、立派な苗を植えたこともあり、トウ立ちしてしまった経緯があります。そこで、今回は、小さめの苗を買い求め、20センチほどに切り揃え、根も短く切り揃えて見ました。定植したあとは、薫炭ボカシ肥を薄ら、撒いておきました。





2021年11月7日日曜日

20211107 飛騨白川郷・帰雲城跡を訪ねて

   新潟市内の豪農の館の庭でも見学したいとも思ったのですが、日の高いうちに岐阜県の白川郷近くの帰雲城跡を訪ねたいと、朝8時にホテルを出発。

 北陸自動車道を西に。途中、上信越自動車の分岐点あたりで冠雪している高い山が見えましたが、懐かしの妙高山、黒姫山のはずなのですが、イメージより険しく高くそびえて見えたのには驚きました。名立谷浜サービスエリアに立ち寄り、地図を確認したのですが、間違いなく妙高山、黒姫山でした。妙高山の山頂は富士山のような台形だったように記憶していたのですが。このあと、有磯海(ありそうみ)サービスエリアで昼食、このサービスエリアは、行き帰りに立ち寄っています。この有磯海サービスエリアを過ぎたあたりから滑川(なめかわ)前後の立山連峰方面の景色はなかなかなものです。立山連峰を背景として手前の地域は緩やかな丘陵が広がっていて、ヨーロッパのどこかの風景といった感じがします。

 小矢部砺波ジャンクションにて東海北陸自動車道に入ります。白川郷インターにて下車し、国道158号線を南下して行きます。約5キロほどの行った白川村保木脇(ほきわき)という集落の道路脇に帰雲城(かえりぐもじょう、きうんじょう)跡の記念碑があります。

 この城は、天正13年11月(1585年、新暦では1586年1月)の大地震、「天正大地震」により城後方の山が崩壊し、雪崩、山津波により城や城下町が一夜にして埋没してしまいます。下の写真が当時の崩落跡です。写真では、どうもそのスケール感が伝わりませんが、最後に掲載しています、少し離れた道の駅「飛騨白山」からの写真の方がスケール感が伝わるように思われます。




(20211107  帰雲山の麓を流れる荘川の川床から運び上げた石)

(20211107  荘川の川床から運び上げた石に浮かぶ人影?)



 天正大地震の当時の帰雲白の城主は、内ヶ嶋氏理(うちがしまうじよし)という戦国武将ですが、たいそうな財力を持っていたようです。城下には数百名は生活していたようで、生き残った者はこの土地を離れていた4名ほどであったと、何かで読んだことがあります。
 飛騨は、金山が多く、江戸時代は天領地であったほどです。帰雲城の城主は4代続いたようですが、足利義政の銀閣寺、織田信長の安土城の築城の折にはかなりの財政支援をしていたようです。また、埋蔵金は5兆円とも推定され、テレビが埋蔵金発掘の番組を組んだほどです。

(20211107  道の駅「飛騨白川」から眺めた帰雲山)
 私自身は、この埋蔵金にも興味はありますが、帰雲(かえりくも・かえりぐも)という山の名前自体に関心を持っていました。その名を知ったのは、12・3年前でしょうか、釣りの同好会の人たちに白川郷の荘川でのアマゴ釣りに連れてきてもらった時だったように記憶しています。
 秋田までの往復、1,800キロの帰り雲の旅となりました。

2021年11月6日土曜日

20211106 秋田県から新潟県村上市へ

  本日は曇りのち晴れ。

 秋田から岐阜に戻ります。きょうは新潟市で1泊の予定ですが、途中、村上市の町屋通りにある「千年鮭きっかわ」を訪ねます。

 秋田県の大曲(おおまがり)あたりから東西に国道105号線に沿って車を走らせます。

 私は、この国道105号線沿線の景色が好きです。実に長閑で落ち着きます。日本人であれば誰もが共通して抱く原風景のような気がします。

 途中には豪農の館なのでしょうか、民族博物館のような大きな茅葺の屋敷もあります。燃え上がるような真っ赤な紅葉が、屋敷に威厳を与えています。 




 国道105号線を西に走り、由利本荘市の大内インターにて日本海東北自動車道に乗ります。自動車道は、山形県のあつみ温泉あたりで一旦終了しますので、あとは、国道7号線を日本海に沿ってひたすら南下して行きます。あつみ温泉を過ぎると、すぐに新潟県村上市になります。



 村上市役所の駐車場は、観光客に無料開放されています。
 まずは、「千年鮭きっかわ」を訪れます。店の奥には、天井から鮭がぶら下がっています。日に照らされている鮭のなかには、つい先ほどまで生きていたように引き裂かれた腹が赤く光っています。鮭の歯の鋭さには、あらためて驚かされました。
 「きっかわ」は、もともとは三代将軍徳川家光の時代に米問屋として創業したとのことで、江戸時代末期には酒屋に転向、さらに戦後昭和30年代に現在の鮭を扱う店に転進したといいます。千年の伝統ある越後村上の鮭料理が廃れていくことを見かねて転業したとのことですが、一貫して「麹」の発酵に関わってきたということになります。
 このように転身を図るというのも、家を守る、伝統を引き継ぐということになるのでしょうか。
 お店を見学かたがた土産を購入し、近くの「海鮮一鰭」(かいせんいちびれ)にて遅い昼食を摂って新潟市に向かいました。夜は、新潟駅前の「越後番屋酒場」にて、〆張鶴に口を寄せながら旅の疲れを癒したというわけです。