2011年6月18日土曜日

岐阜県馬瀬川の鮎釣り解禁

馬瀬川(まぜがわ)は、全国の利き鮎大会にて優勝すること、たびたび。鮎の全国ブランドは、何と言っても長良川の「郡上(くじょう)鮎」であるが、郡上に近い、和良川(わらがわ)、馬瀬川が、このところ常に上位を占めている。岐阜県にとっては、鮎三大河川と言ったところである。


その馬瀬川の解禁である。馬瀬川は、上流区域と下流区域で漁業組合がことなるが、この日は上流部の解禁である。上流部は、分水練のある高山市から下呂市への流れ、やがて木曽川へと合流していく。


17日(金曜日)の夜に帰郷し、最低限の仕掛けをつくり、18日の夜中の2時30分に自宅を出発。4時近くに馬瀬川上流域の黒石(くろいし)に到着。同好会の会長、師匠をはじめ、Tさん、Yさん、兄弟子のNさん・・・、毎年、テントを張り準備をしてくれるIさんとAさん。10人近い同好会のメンバーがテントを張って夜明けを待っている。


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帰郷の車中にて鮎釣りのノウハウ本を読んだ。鈴木康友著「アユ釣りがある日突然上手くなる」(つり人社)である。巻末近くにこんな記述があった。「馬瀬川では白っぽく見える石をねらう。」、通常は、黒っぽい石をねらうのだが、川には個性があるというのだ。この本、瀕死のオトリでも元気なオトリのように扱うノウハウなど、素人の当方には、なるほどと思うようなノウハウが記載されている。とにかく、最初の野鮎をゲットするまでは、オトリを無理に引っ張らないことを決めていた。


人の顔が確認できないほどの暗さのなかで場所とりがはじまる。4時30分頃、いよいよ明るくなり、仕掛けの目印も認識できるようになる。下の写真が釣り始める頃のあたりの様子である。川の上流が堰堤。4時30分、釣りを開始。写真の手前の瀬の脇にオトリを送る。ジッとガマン。オトリが自ら動き出すまでジッとガマン。これが長い。まだ動かない。
3分ほどしてようやく動き始めtた。10分にも、15分にも思える時間だ、瀬脇の大きな石の下にある深みのある流れの緩やかな中に進んでいく。すると、キラキラキラッ。初ゲットと思って、竿をあげる。バラシである。ハリがグッと野鮎に刺さりこむまで待つ。バラして思い出す、ある日突然上手くなる鮎釣りの教訓本。


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周りの人たちは、最初はなかなか竿があがらなかったものの、次第に掛かるようになる。自分も、再度同じオトリを送り込み、ゲット。15センチ前後の野鮎である。馬瀬川の鮎は、スイカの匂いがプーンとするのだが、まだ時期が早いのか、それほどしない。水温は14℃。長良川郡上の解禁日と否時である。


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11時30までの間で移動したのは、上下あわせて30メートルほどである。ほとんど動いていないが、川の様子は、2メータもうごくと、随分と様子が変わっていることに驚いた。


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9時30分頃、一旦、休憩を挟み、11時30分まで釣るも、根掛かりも多くなり、何人かの人たちが川からあがり始めた。それを機会に、当方も納竿とすることにした。


とにかく、眠むい。50歳代もあと数年ともなると、さすがにキツイものがある。無理をせず、釣りをたのしことに気持ちをシフトすることに。本日の釣果、19尾。


岐路、車に入っていた福山雅治のCDをガンガンかける。それでも睡魔が襲ってくる。東海北陸道の関サービスエリアで休憩。15分ほど、爆睡。


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2011年6月5日日曜日

長良川・郡上地区鮎釣り解禁

不覚であった。6月5日が、長良川郡上地区の鮎解禁日とは気がつかなかった。一昨日の3日の夜、師匠から、郡上の解禁はどうするかとの電話あり。3週間ぶりの帰郷の車中。鮎釣りの解禁は、例年、馬瀬川と決まっていたので、6月18日が鮎釣り解禁とばかり思い込んでいた。電話をもらって思い出した。昨年、確かに郡上の解禁日に出掛けた。前夜から泊り込み、夜明けとともに釣り始めた。満天の星が、実にきれいであった。


昨日(土曜日)は、久しぶりの帰郷にて百姓仕事があった。午前中、一反ほどの田んぼの草刈を済ませ、トマトにちょっとしたビニール屋根を設置した。昼、本日の初釣行の準備。仕掛けは新たに作る時間はないため、昨年の仕掛けをチェック。ウェーダーに水が進入してくることを思い出し、岐南町の上州屋に直行。驚いた。鮎関連の商品がほとんどない。ウェーダーも僅か。このところ、ピ-ク時に比して10キロ痩せたこともあり、LLからLサイズになった。ちょうど、Lサイズがあった。シマノの新商品である。残念。股下が82センチのLサイズ。試着してみる。やはり、ちょっと股下が長すぎる。ダイエットで股下も縮んでしまったらしい。ウェーダーの股下がちょうどのモノがない。明日は解禁日。


今年は、昨年の解禁日とは違って、朝の5時に自宅を出発。入川場所は、岐阜県郡上市大和町の上万場(かみばんば)。初めて入川する場所である。何でも、師匠が下見で決めていた場所らしい。橋の上から、釣り人の様子を見る。釣れているような雰囲気ではない。川に鮎を見つけることもとできない。



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橋の下流側に師匠とふたりで入川。気温24度。水温14度。
釣り始めて間もなく、ポン、ポンと、5・6匹が釣れる。釣れるものの、手ごたえがない。水温が低く、活性化していなのか、電信が伝わってこない。4尾あたりからは、サイズダウン。










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2010年3月12日金曜日

芝神明(東京都港区)

東京港区は東京タワーのふもとに「増上寺」がある。ご存知、徳川家の菩提寺である。もともと、「芝神明神社」は1600年あたりまではこの増上寺あたりにはあったらしい。現在、芝神明は、増上寺の海側100メートルほどにある。江戸時代は、神田明神のように祭りも賑わったようである。いまも神輿がくりだし賑わってはいるが、神田明神ほどマスコミにはとりあげられていないのは、残念。

現在の芝神明は、下の写真のように、ビルに囲まれ現代的な趣である。これは、関東大震災や太平洋戦争を経た結果のようなのだが、関東の「お伊勢さま」と親しまれ、歴史は1000年を超える。

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この芝神明で有名なのが、1805年春の「め組の喧嘩」である。

め組は、徳川吉宗が組織した江戸の火消し組織のひつである。芝神明は、め組の所轄であった。下の写真の狛犬の台座にも「め組」としるされている。め組の頭、辰五郎は、組のものと連れ立って境内で催されていた相撲を見物に。火消しは木戸銭はタダというのが慣わし。ところが、火消しの知り合いもそのタダ見に加わっていたため、力士の九竜山が文句を言い、喧嘩となる。この喧嘩は、仲裁が入り、一旦は収まるのだが、面白くない辰五郎たちは芝居見物に出かける。運が悪いことに、この芝居見物に九竜山もやってきて、辰五郎と鉢合わせになる。江戸の喧嘩は長崎でってなわけで、芝居をぶち壊しにする喧嘩となってしまう始末。火消し側は半鐘を鳴らして仲間を呼び、相撲側も力士仲間が駆けつけるといった具合に事はいよいよ大きくなる。厄介なのは、火消しの所轄は江戸町奉行であり、一方の相撲は寺社奉行が所管していたため、喧嘩がいよいよ複雑になってしまったというものである。この喧嘩のときに鳴らされた半鐘は、非常時以外に鳴らしてはならぬという掟を破ったとして遠島のお裁きとなったらしい。明治に入って、芝神明にもどされ、現在も「め組の半鐘祭り」なるものが執り行われている。

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この話をもとにしたノンフクション実話が、歌舞伎の「神明恵和合取組」(かみのめぐみわごうとりくみ)という演目になっているらしい。火事と喧嘩は江戸の華、喧嘩に命をかける江戸っ子の心意気を描いているようです。この歌舞伎、残念ながら、いまだ観たことがない。

ここに登場する辰五郎は、同じ火消しでも「新門の辰五郎」とは違う。新門の辰五郎は、江戸後期の「坂本竜馬」の頃で、勝海舟と親しかった人物である。

ところで、この芝神明、もうひとつ、知る人ぞ知る有名な話がある。

西銀座デパートの宝くじ売り場の人たちが、参拝ににやってくる神社なのである。西銀座デパートの宝くじ売り場と言えば、年末ジャンボの売り出し日には長蛇の列ができ、毎年、ニュースにとりあげられる、あの売り場である。

何でも、江戸時代、芝神明の境内にて行われた富くじで100万両が出たというのである。

ここの御守、密か(?)に持っています。

こんな不景気な時代、何となくご利益のありそうな風格ではありませんか。